ただの私の脳内

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諸行無常

 

 

諸行無常】〔仏教で〕万物は流転するものであり、永久に変わらないというものは世の中に一つもないこと。―新明解国語辞典

 

小学一年生にして熱狂的に愛していたアイドルグループの解散を経験した私は、比較的早い段階で「諸行無常」の感覚を学んだのではないかと思う。勿論それだけではなく半年足らずでスタッフが15人ほど入れ替わったワーホリ時代など、色々あった。

最近も、またひとつ。会社の尊敬している先輩が退職されるとの報告を受けた。その先輩には入社当初より大変お世話になっており、お得意のポーカーフェイスを極めていた入社当初の私との距離を誰よりも早く縮めてくれた。捻くれた私の思考回路を理解して腑に落ちる指導をしてくれた。お手本にしていた。

終身雇用という概念が殆ど存在しない会社なのでいつまでも同じメンバーで働けるとは全く思ってない。自分も諸々の計画を立てている。それでもいざとなると受け止め切れない自分がいる。それはどこかで現状が「当たり前」になってしまっている証拠。

海外に滞在しているとき、日々の過ごし方がいつもと違うことを感じる。旅行でも留学でもワーホリでも。現地に到着したその日から帰国へのカウントダウン。激しいディスカッションについていけない授業も、微妙に話の合わない知人との時間も、上り坂がしんどい通学路も、スーパーの不愛想な店員も、毎週日曜日に勉強しに行くカフェのそんなに美味しくないラテも、なぜか熱心にハエ叩きの使い方を教えてくれるシェアハウスのオーナーも、有限だと思うから愛しい。

けど、違う。何もかもが有限なのは海外に居るからではない。東京に居たってそう。当たり前に続いていくものなんて何もない。無限なんて存在しない。海外に居るときの大切に毎日と向き合っている感覚のまま、東京でも過ごしたい。

その思いは確かなはずなのに、頭では理解しているのに、いつのまにか同じような当たり前の毎日を繰り返しているように勘違いをしてしまう。終わると言われたらいやなくせに甘く見ている。ほら「続いてく時はいつも止まらずに変わってく 街も人も愛もみんな」ってSPEEDも歌っていたではないか。

 

明日もし死んでも後悔しないようにとかそういう話でなく(そもそも死んだら後悔もクソもないと思う)ただ単純に大切なものを大切だと思う気持ちを大切にして生きたい。

 

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だって大切だから。