ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

525600

 

【お願い】

タイトルの数字にピンとこない方はこんなぐだぐだブログなど読んでいないで映画「レント」を観てください。

 

先ほど、部屋でうだうだしていたところ窓から入る光がいつもと違うことに気づいて外を見た。

 

なんだこれ。

 

f:id:mirewords:20170912221208j:plain

 

こんなの久々に見た。大学時代に留学していたカリフォルニア州サンディエゴは、こんな夕焼けが日常的に見られる場所だった。夕焼けはノスタルジーテロだ。

 

今日はオーストラリアから帰国してちょうど一年の日。ブリスベンという街でワーキングホリデーをしていた。

大学卒業から秋の入社までの半年足らずの計画だった。短い。帰国したら今度はいつ日本を離れられるか全く分からない。だから、渡航するに当たって決めていたことがある。

 

「迷う前に動く」

 

夢だったアメリカ留学では、当時の自分に可能なことは全てやって帰ってきた実感があった。それでも、足りなかった。一歩を踏み出せずにあきらめたことがたくさんあった。どう頑張っても時間や金銭の事情で難しいこともあった。それを繰り返したくなかった。

半年しかない。出遅れたら間に合わない。そう思っていたから、子どもの頃からの「理詰めで考え切って確信を持ってから動く」クセを捨てることを第一の目標とした。この半年はどれだけ失敗しても良いことにしよう、と自分で決めた。

結果として、部屋も仕事も知人も何も無いまま降り立ったブリスベンは私にとってかけがえのない街になった。夕方に到着して翌朝にはRSA(オーストラリアでアルコールを扱う店で仕事をするために必要な資格)の講座を受けた。その翌日からは近辺の店に履歴書を配って歩いた。オーストラリアでのバイト探しは店に突入して「マネージャーいますか?仕事探してます!」と履歴書を渡すのが一般的。これが当然ながら緊張する。私はポーカーフェイスが得意なのでバレることは殆どないのだが、緊張する。就活の時もよく面接官に「緊張とかしないんだね」と言われたものだが、緊張する。でも、やるしかない。なぜならお金がないから。

スタートがこの状況だったのが良くて、ブリスベン生活では常に「こわいけどやるしかない」という心持ちで過ごすことができた。到着の数日後には仕事を見つけて、その数日後には部屋も見つけて、その数週間後にはバイト先のメインスタッフになっていた。翌月にはヨガやダンスにも通い、コミュニティラジオのパーソナリティとしての活動も始めていた。バイト先は無茶ぶりの多い店で何度も全てを投げ捨てたくなったけど半年も働けない自分を雇ってくれたことに恩がある。だからやった。やるしかなかった。動けなくなった時の合言葉は「大丈夫、この半年、どんだけ失敗しても良いことに(自分の中で)なってる」

 

帰国してからの自分は、ブリスベン生活と同じように過ごせていたのだろうか。いや、全く同じとはいかないことは分かっている。だけど心持ちはあの時のままで良いのではないかと思っている。だって「半年しかない」なんて言うけど、今の生活はあとどれだけあるんだろう。半年もないかもしれない。終わりが定まっていないことは終わりがないこととは違う。

525600分なんて、1分の積み重ねでしかない。今この瞬間に間違いなく自分の手の中にある1分1秒が繋がっていく。確かにそう考えているはずなのに、行動が示すのは「たかが1分」という日常への甘え。

 

来月からは会社でも二年目になる。自分が担当した商談の総括などは進めているが、そういう実務的な話だけでなく、思考の在り方とも再び向き合っていくタイミングなんだろうか。

 

No day but today だね。