ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

東京の女

三連休をいただいて鹿児島へ行ってきた。一泊目は贅沢して一人で温泉旅館。二泊目はいつもどおりゲストハウスのドミトリーで節約。海。山。馬。ああ、癒された。

今月から初めての異動となったことは想定外でも何でもなく怒濤の日々となるであろう時期に休暇をとることに対しては迷いがあった。そしてそれが無意味な迷いであることも分かっていた。忙しいとき疲れてるときほど離れること忘れることの重要性を私は知っている。ただ業務的な観点で言えばしがみついて頑張り続ける方が楽なだけ。ただし限界が来なければ。

そんなわけで休みをとった。パーカーにスキニーにスニーカーにリュック。アイラインも引かない。

 

武装解除

 

スーツを着てヒールを履いて革のバッグを持ってメイクもばっちりで、いわゆるバリキャリ的なスイッチを入れて働く日々。つまらなくなんてない。嫌いでもない。自分の意思でそうしている。でもたまに全部を投げ捨てたくなる。

前にも書いたけれどそういうとき私はやっぱり旅をする。東京では考えすぎてしまう。速く歩きすぎてしまう。気合いが入りすぎてしまう。

初日、着くなりバスを間違えて大幅に迂回することになりほんのりあった計画は崩壊したのだけれどおかげで海沿いを走る日豊本線の景観を堪能できた。すごくよかった。こういうことで時間が勿体ないとか管理ができてないとか誰からも自分からも責められない。タイムマネジメントを意識しなくても全く問題ない。それが嬉しかったのだけどこれっておそらく仕事の外であればいつもそう。東京での一日だけの休みでもそう。そう、だと思うのだけれど。そう、しているつもりなのだけれど。やっぱりなんか肩の力の抜け方が違うんだなと今回の旅行で痛感した。

 

そういうどっかで頑張ってしまう感じが東京にはあるのかもしれない。「勝手にふるえてろ」とか「夜空はいつでも最高密度の青色だ」とか「南瓜とマヨネーズ」とか「パンとバスと2度目のハツコイ」とか、分かる?一人暮らしの若い女にとっての東京ってそういう感じでしょう?衛藤美彩ちゃんもそういう趣旨のメールを送ってきたことがあったでしょう?(知らねー)

 

誤解してほしくないのは私はそんな東京が好きだということだ。好きなのだ。武装したいのだ。頑張りたいのだ。

一人だなって思ってる誰かが一人だなって思ってる誰かに「一人じゃないのよ、わかるでしょう?(by Sonomi)」と言ってるみたいなこの街に暮らすことは私の意思に他ならない。

 

じゃあ結局のところ何が言いたいんだって話だけど別に東京を選んだからって東京が全てではないよという。たまに息を吸って吐くためだけにどっかいってそんでまた帰ってきたらいいんだよという。もう私にとっては抜け出したいと感じるほどに東京が居場所なんだからそんな必死にしがみつかなくて大丈夫だよという。

 

七年半。

YUIのTOKYO(とその他の大切な曲たち)を聴きながら上京した18才の自分を後悔したくない。と最近になってまたよく聴いていたり。

 

追い詰められたり息苦しくなったり孤独を感じたり、それでも頑張れる力を東京は確かにくれていて、それなのに癒しまで求めるのは無理がある。東京はそういう場所ではない。だから限界を迎える少し前にパーカーにスキニーにスニーカーにリュックでどっかいこう。ここでなければどこでもいい。

 

そんでまた頑張ろう。ね。


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そういや私が京都出身と知った後輩に「言われてみれば心なしかはんなりしてますね」って言われたのだが、何だそれ。