彼女たち
「名前なんかどうでもいいじゃん」
一瞬にして惚れた。
もう十二年ほど前の話だ。
今もずっと桜井はわたしの憧れ。
新宿ブックファーストはわたしのお気に入りの書店で週に一度は立ち寄っている。今日も今日とて徘徊していたらふと目に留まった東京グラフィティ最新号の表紙。小松菜奈と門脇麦と「女の子が好きな本・映画のヒロイン100人」の文字。
なにそれ、最高。
数々の著名人や一般人が思い思いのヒロインについて語る。分かる分かる、いやマジか、知らねえな、選ばれたヒロインたちへのわたしの反応は様々だが各々がそのひとりにビビッときてしまったその過程を知ることができるというだけで堪らない。
わたしにとっての究極のヒロインは、桜井。映画および小説「GO」の桜井。桜井。桜井。
桜井に惚れた中学時代は演じた柴咲コウの大ファンだったのだがそんなことは差し引いても(いや原作者が柴咲コウに当て書きしたと言っているくらいなので差し引く必要はきっとないのだが)わたしは桜井が好きだ。大好きだ。音楽と映画を愛する桜井。裸足で白線の上を歩く桜井。野性的で個性的で、意味不明なくらい知的で、それでいてバカな桜井。
わたしは、桜井にとてつもなく憧れている。
この感情はアイドルの「推し」への感情とも重なってくる。わたしにとって推しに抱く感情というのは少なくともただの好意や共感とは異なるものだ。憧れのヒロインも同じなので、エトウヨシカはこの話題の外に居る。彼女たちは、現実と理想が絶妙なバランスで溶け合って「分かる。」とか「わたしも。」が「すげえ」とか「かっけえ」とか「え、なんで」とか「なるほど」と混在する。そうしてその女たちは決して追いつけないのに追いかけたくなる憧れとしてわたしの人生に入ってきて、二度と出ていかない。
好きなヒロインは?
そう訊かれて即答できる人生でよかったと思う。
桜井は別格だけど他にもいる。
小説なら、
一人で闘うには脳みそを使う方法を覚えることその補強をするための知識を少しでも多く仕入れること、なお、それは大人が無条件に与えてくれるものではない、と教えてくれた人
「高慢と偏見」のエリザベス
周りの人間のくだらない常識に惑わされずに自分の価値観で物事を見ることができそんな自分にプライドを持っていても時にはペースを乱されることもあってそれでもそういう一部始終を見て好いてくれる人はいるのだと教えてくれた人
映画なら、
「はじまりのうた」のグレタ
色々ある、色々ある、そういうときこそ街に人に音に手を伸ばしてみてもよいのかもしれないと教えてくれた人(あとアコギが似合う)
「女神の見えざる手」のリズ
強く賢くあることが生き延びる術だと過去に学んでそれが自分に定着した頃に必要なのは情と愛嬌だとか言われたりそんな世界だけど強く賢くあることは間違いなんかではないと教えてくれた人(あと服が黒い)
列車で分厚い本を読み街を歩き回りながら雑学を披露するような下手したら可愛いげの欠片もなくなる女でもほんの少しの野性を持ち合わせていればありのままで魅力的に見えるのだと教えてくれた人(あと声がよい)
「グッバイ・ゴダール!」のアンヌ
知を静の状態で持つことの美しさを教えてくれた人(あと服が可愛い)
「サイドカーに犬」のヨーコさん
全部全部全部を抱えたまま豪快に笑う人の強さと脆さとやさしさを教えてくれた人(あと麦チョコ)
この辺は名前を並べるだけで口角が上がってくる。自分と似てるところも自分には届かないところも持ってる人たち。凛とした憧れ。
あ、ミトコンドリアDNA、
えっと、なんだっけ、そう、わたしの好きなヒロインたちはきっと彼女たちを知る人なら笑ってしまうほど趣味が分かりやすい。決して「いい子」ではない。強く賢く、野性的で個性的で、意味不明なくらい知的で、バカで、時々めちゃくちゃ弱い、と見せかけてやっぱ強い、というか、あ、ダメだ、わたしごときの言葉で語り尽くせるわけなかった。
ああ、ヴィンテージのワンピースからジーンズまでさらっとカジュアルに着こなしてしまう感じも割と共通しているかもしれない。
憧れのヒロインになれるとかなりたいとかそういうわけではなく、ただ、仕事が上手くいかないとき失恋したとき服が決まらないとき休日の過ごし方に迷ったとき、彼女たちが脳内を駆け回る。それを追いかけて「あ、そっか、ありがと!」ってなることがある。そうして生きている。もうずっと変わらない。わたしの構成要素。
本を読んだり映画を観たりする理由、そんなの明確になんて言えないけど、これも一つなのかもしれない。好きなヒロインを訊かれて即答できる人生にすること。彼女たちに出会うこと。
明日は何を着て何を観て何を聴いて何を読もうか。
「ねえ!行こう?」