I Am...
I Am... Sasha Fierce
わたしが愛して止まないビヨンセの3rdアルバムは2枚組で構成されている。
発売された当時、高校生だったわたしにとって強くて美しくてかっこいいビヨンセはパーフェクトな女性だった。憧れていた。このアルバムも持っているし、ダンスの本番の日はクリスタルガイザーと決めていたし、仮定法現在はIf I Were A Boyで覚えた。来日公演だって行った。
これはライブでビヨンセが汗を拭いて投げたタオルをキャッチした(!)ときのわたしのツイート。英語の練習帳として使っていた10年前も元気にオタクですね。
Im still so excided. Beyonce is the true DIVA. I love and respect her soooooooo much.
— Miii (@miii8517) October 13, 2009
このアルバムが二部構成になっている理由を当時は深く考えていなかった。バラード盤とダンス盤くらいに捉えていて、どちらかと言うと「ビヨンセらしい」後者が好きだった。だけど、当時のビヨンセと同い年になった今ようやく、この構成が刺さる。ああ、ビヨンセ様…!
説明するとI Am... Sasha Fierceはこのような構成になっている。
ディスク1:I Am...
If I Were A Boyからスタート
当時のビヨンセにしてはめずらしいバラードが続く
これまでの「強い女」のイメージをぶち壊すような歌詞も混ざる
ディスク2:Sasha Fierce
Single Ladiesからスタート
いわゆる「ビヨンセらしい」メッセージをビートにのせる
Sasha Fierceとは彼女がステージでの自分を称したいわば「キャラ設定」のようなもの
当時のわたしにだってコンセプトを理解することくらいできたが、この「キャラ設定」というのが本当の意味では分かっていなかったのだと思う。ビヨンセ=Sasha Fierceとして見ていたから。それこそがわたしの憧れる姿だったから。でも今は違う。
ここ数年で、わたしの中にも「バリキャリ」のキャラ設定が現れた。それが本当のわたしではないとかそういう話ではない。ただ、スーツを着てヒールを履いたらいつものわたしとは違う。過去とか不安とか、眠れない夜とか、関係ない。言い訳なんて要らない。仕事が始まったら、前を向いて背筋を伸ばして持てる限りの自信を引っ張り出してパフォーマンスする。それだけ。
そうやって結果を出してきたけど、過去や不安が消えるわけではない。眠れない夜が減るはずもない。バリキャリスイッチを切った瞬間にただのわたしが脳内に放たれる。誰にも知られたくないけど誰かに知ってほしいどうしようもないわたしが。
どっちかだけではわたしになれなくて、どっちもあるから今の自分なのだと言い切れるのに時々どう扱ってよいのか分からなくなる。
そんな毎日の中でふとI Am... Sasha Fierceというアルバムの存在が腑に落ちた。
Sasha Fierceとしてステージで闘い続けたビヨンセが、デスチャ時代から「残念ながらアンタなんかいなくてもちゃんと一人で生きられんだわ」と歌ってヒットを飛ばしていたビヨンセが、ソロデビューアルバムでも「私には私しかいないってもう分かったから」と結論づけたビヨンセが、20代後半というタイミングで敢えて「らしくない」I Am...をディスク1に持ってくる。
でもやっぱりディスク2ではSasha Fierceに戻って、みんなこれが見たいんでしょ?と聞こえてきそうな堂々たる「ビヨンセらしい」パフォーマンスで終わる。
ただこれが今までにも増して強くて美しくてかっこいいのでこちらもI Am...あってこそのSasha Fierceなのだと気づかずにはいられない。
ビ、ビヨンセーーーーーーー!
分かるよ。分かるんだよ。強く生きることを志すあまりに実際そんなこと全然ないくせに周りにそう思わせるのも上手になってきたわたし(27)の心がビヨンセ(27)に対して「リスペクト」だけではない感情を抱いてしまうんだよ。あの!世界の!ビヨンセ様に!
I Am... Sasha Fierceの「…」を抱きしめたい。わたしは、のあとに続けたい言葉なんていくらでもあるはずなのに間を置いて選ぶのが結局「Sasha Fierce」なの、そんなの、
なんというアルバムを作ってくれたんだ。
デスチャにindependentという単語を教えてもらった中学時代から始まり、そろそろビヨンセもファン歴が人生の半分くらいになってきました。
ずーっと聴いていたはずの曲やアルバムが急に自分に語りかけてくるようになる瞬間、オタクライフの宝ですね。
まだやれる。