1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
10年前、東京行きの新幹線、YUIのTOKYOを聴きながら、不安なんて欠片もなかった。何がどうなってもそれまでの日々より悪くはならないと信じて疑ってなかった。そのとおりだった。
明日で東京に来てちょうど10年になる。泣けてくる。当たり前だけど本当に色んなことがあった。当たり前だけど全てが上手くいったわけではなくて、というか上手くいかなかったことの方が多くて、どうにもできなかったことも数え切れないほどあって、でも後悔は一つもない。
わたしは昔から「やると決めたらやる」しか能のないクソ頑固な人間で、それは東京に来てからも変わらなかった。何が正解かなんて分からないから選んだ答えを正解にするために考え続けることしかできなかったけど、その一点に関しては無様でも何でも手を抜かずにしがみついてきたと思う。
常にギラついた目をしていた自覚がある。何もかも地元や家族のせいにしてきたから、東京で、一人で、何がなんでも手に入れる必要があった。何を手に入れようとしていたのかすらもはやあやふやだけど、とにかく欲しかった。何と闘っていたのか見えないままだけど、とにかく負けたくなかった。そのためなら自分らしくないことも吐くほどいやなこともいくらでもした。狭く深く付き合いたい本心を抑え込んで何千人?それ以上?の人たちと関わった。迷子になろうが体力が尽きようが大雨だろうが全力を出し続けるしか方法を知らなかった。それが本当にしんどくてしんどくてしんどくて、楽しかった。
結局あのとき欲しくて堪らなかった何かが手に入ったのかはよく分からない。少しはマシな自分になれたのかどうかも分からない。分かるのは、大切に思うものが随分と増えたということ。
東京に来たとき、失うものなんて本当になかった。人も物も場所も、別れを惜しむ対象なんて皆無に等しくて、だから「地元を離れる」ではなく「東京に行く」と思って東京に来た。10代に特有のやつと言われたらまあそうなのだけどそれにしてもちょっと笑ってしまうくらい思い入れがなかった。捨てたかった。全部。それがどうしたことか、今、ここに、大切な人が物が場所が、失いたくないものが、ありすぎる。どうしちゃったのよ、みんな敵じゃなかったの?
うん、敵じゃなかった。
10年間で最大の学び。それだけで十分すぎるくらいの学び。なのに他にもいーっぱい学んだことがあって、感謝だとか何だとかこんなところに並べても届かないから書かないけど、その重みが嬉しくて有り難くて口角が上がってしまう。
とにかく強く、賢く、自分の足で、という思考回路は基本的には変わってないんだと思う(変わってないんかい)でも今のわたしはもうそれだけではない。はず。少なくとも「誰も助けてくれない」とは考えてない。はず。ここぞというときの他はギラついた目をしていない。はず。雨が降ったら傘をさす。はず。
次の10年が、楽しみ。そう思える今日につながった全てのこと、忘れずに明日も生きてこ。
一人じゃないのよ、分かるでしょ?
東京で過ごす年末年始は二度目だった。
地元を出てから今回を入れて10回の年越しのうち、1回はアメリカ留学中、1回は昨年のロンドン旅行(そう、1年前はロンドンに居た。信じられる?)東京で年を越したのは大学時代にバイト先のカウントダウンイベントを外せなかったときのみで、何だかんだ言いつつ10回のうち6回は実家に帰っていた。31日の夜遅くに着いて2日の朝には出るパターンがお決まりとはいえ、わたしだって親に寂しい思いをさせたくないという感情は持ち合わせているのだ。実はね。
でも今年は控えることにした。親も「高齢者」だし。なんとわたしが、一人時間のプロフェッショナルのようなこのわたしが、完全に一人で年越しをするのは初めてだったようでそのことに気づいたときはなかなかの衝撃を受けた。崩壊家庭育ちあるあるだろうが、わたしにとって年末年始は日頃に増して孤独を感じるイベントである。1週間後の誕生日まで含めてまあまあ泣きたくなる。そんな時期を、一人で、どう過ごそうか。
そんなところに舞い込んで来たのが普段からお世話になっているヨガの先生が開催する年末年始スペシャルプログラムだった。6日間、朝7時から。
7時…
わたしは朝に弱い。特に会社員になってからは不眠も酷く、よく働いてたなと思うくらい夜に寝て朝に起きることが困難な時期が続いた。医療を含めそれはもう数々の改善法を試してきたうちの一つがこの先生のヨガのクラスだった。ヨガ歴7年目にして出会えたことが昨年の嬉しかったことランキングの上位に入るくらい、少人数でコミュニケーションをとりながら丁寧に進んでいくこのクラスはわたしに合っていて、だから普段の午前8時半からのレッスンにもどうにか行けていた。心身のサイクルを整えていく過程において大きな役割を果たしてくれたし、不眠も完治とはいかないけど脳みそフル回転のまま夜明けを迎えてしまうことは殆どなくなった。だから参加しようと思った。わたしは!夜に寝て!朝に起きるんだ!(7時か…)
年末年始のわたしの一日は大体こんな感じ(時間は適当)
7:00 ヨガレッスン
8:30 カフェで韓国語の勉強
11:00 本屋を徘徊したのちたいやきを食べながら帰宅
12:00 足湯(ヨガで裸足になって冷えるので)&家事
14:00 おひるね
16:00 読書(寝るまで)
本当に毎日これ。そう、毎日、できました!早朝ヨガ、行けました!7時!
せめてこの休暇の間だけは情報を遮断して思考を止めたかったので上記の他のことは基本的に排除した。スマホは何度かチェックする以外は電源を切っていたし、ヨガ&カフェには持って行かなかった。本も小難しいノンフィクションではなく予め選んでおいた小説だけを読んだ。テレビは元から持ってない。そして何と言っても、映画を観なかった。
毎日すっぴん(眉毛は描いた)でヨガ着にパーカー姿のまま徒歩圏内でゆるゆる過ごして感じたのは、意外と自分は孤独ではないということだった。うわ、すごいわたしらしくないこと言ってるな?
でも、早朝ヨガの1日目、いつものごとく起きられずにグズグズしたのち開始数分前に文字どおりスタジオへ滑り込んだわたしに先生やお姉さんたちが「あ、来た!」と笑いかけてくれた瞬間、そう思ってしまった。
毎日ギリギリだったのに、先生は「あんなに起きられないかもって心配してたのに一度も休まなかったなんてほんとすごいよ!」と褒めちぎってくれた。わたしは褒められることが苦手で「コイツ見返りとして何を求めてるんだ?」とか「それは本心なのか?」とか「この程度で褒めてくれるなんてわたしのことなめてんのか?」とか思ってしまうのだけど、なんでだろう、多分もう信頼してしまっているから、嬉しかった。今後も大丈夫な気がしてきた。
先生だけでなく、毎日ただそこに行くだけで同じ顔ぶれが揃っていることにすごく安心した。それが義務や責任で繋がれた関係ではなく、先生が呼ぶ名前の他に何も知らない人たちが毎日そこに居ることが心地よかった。いつのまにか、居場所になってた。
その感覚はヨガスタジオの外にもあった。毎朝、カプチーノとクロワッサンを買って韓国語を勉強していたカフェ。近所で美味しいエスプレッソが飲めて、かつ、ゆっくり勉強ができるのはここだけなので普段からよくお邪魔している。だけど、毎朝同じ時間に行くなんてのは初めてだ。それも年末年始。そして住宅街。そう、ここにも、毎日同じ人が居る。同じ人が、同じ席で、同じ飲み物を置いて、同じことをしている。普段からいつ行っても居るおじいちゃんは年末年始の朝にもやっぱり居て、彼は特別だけど、他の顔ぶれにも段々と愛着が湧いてくる。とっくに冷めきっているであろうカフェモカをちびちび飲みながら無心で世界史Bと向き合っていたくまさんペンケースの高3らしき女の子、めっちゃ応援してる。
あ、寂しい。明日からこれが日常でなくなるのが寂しい。
今回こうして何もしない毎日を過ごしていて気づいたのは、自分が一人旅のときと非常に近い感覚になっていたこと。わたしは国内でも海外でも観光地をめぐる旅行はしない。たまにそういう日もあるけど基本的には起きたらのんびり朝ごはん食べて街を歩き回ってカフェや海辺や公園で本を読みながら人間観察をする。それだけ。昨日とか明日とか予定とか欲望とか肩書とか関係なくて、ただ今ここに流れている時間をぼけーっと眺める。時々どこかの誰かと交わす言葉を大切に反芻しながら、静かに静かにそこに居る。その感覚を得られるのが一人旅だと思っていて、暇さえあればどこかへ行ってしまう理由の一つだった。それを東京で体感できた。びっくりした。でも考えてみたら、これまでずっと連休があったら迷わず旅行していたので東京でこの感じになれるはずもなかった。上京した18才のときから東京には刺激が溢れすぎていて、闘うための場所で、ここから離れない限り良くも悪くも立ち止まれないと思っていた。でも違うのかも。場所を変えなくてもコントロールできるのかも。少なくとも今のわたしは。
なんか、本当に大丈夫な気がしてきた。多分、もう、眠れる。
インターネットに接続しないと勉強できないのがいやになってついに韓国語の辞書を買いました。とても楽しい。
Minimalist? No.
ミニマリストという概念が一般的になってからどれほどになるだろう。どうやら一過性ではなく一つの思想としてすっかり定着したように見える。かく言うわたしも周りから「ミニマリストっぽい」と評されることも多く、この概念は当初から何かと意識の片隅をうろついている。
なるべく余計なモノを持たずに暮らそうという発想には共感しないこともないので、自分の目指すべき姿はここなのか?と考えたこともあった。しかしながら数年をかけて検討した結果、わたしはいわゆるミニマリストにはなれないしなりたくもないということが明確になった。何しろ「余計なモノ」の定義が違いすぎる。如何せん、わたしはモノに情を抱くタイプの人間なのだ。
このようなことを言うと友人知人には驚かれることが多い。なぜだろう。よく手ぶらで出かけているから?リュックサック一つで海外旅行するから?テレビを持ってないから?高校時代に購入したジーンズをまだ履いてるから?愛用のペンをトイレに流してしまい悲しみに暮れながら同じペンを買い直したりするから?
確かに、わたしにはそういうところがある。でもそれは「不要なもの」を排除するためではなく「愛するもの」をとことん愛するための選択でしかない。こだわって選んだものしか使いたくない=そんなにたくさんは見つからない=選び抜いた少数精鋭を使い続ける、というだけの話だ。わたしがわたしの好みに合うように選んだのだから気に入っていて当然だし、新しく買う理由も捨てる理由も特にない。会社員として収入が安定して初期投資ができるようになった今、その傾向がさらに強くなっている自覚はある。自分でもミニマリストを目指すべきか迷いがあったのはこの「自分で厳選したものだけで暮らす」思考が共通していたからと推測する。日頃からその考え方を基盤として取捨選択をしているため出かけるときの荷物にしても「あれもこれも」とはならない。惰性では持たない。今日のわたしが連れて行きたいものを連れて行くだけ。そんなに多くはならない。
では、ミニマリストとわたしを決定的に隔てるものは何だろう。なかなかの難問だったがあるときどこかで見かけた「紙辞書は場所を取るのでスマホで調べよう」という趣旨の文章を読んでくっきりと境界線が引かれた。わたしは!紙辞書が!大好きだ!!!
このテーマに相応しくシンプルにまとめてみると「不要」を徹底的に排除して「効率」を重視する考え方はわたしのライフスタイルとは極めて相性が悪い。わたしは少なからず合理的な人間ではあるが、それは合理的に考えられるという意味であって必ずしも合理性を好むというわけではない。むしろ合理的に考えた結果その枠に収まらないものをわたしは愛している。紙辞書を捲るときの匂い、使い込んで手垢で汚れていくページ、いつかの自分が書き込んだ文字を発見して「また忘れてた」と落ち込む瞬間、いわゆるミニマリスト思想(人にもよるのだろうが)はこれらを容赦なく切り捨てているように感じた。Okay, わたしはミニマリストではないです!
人生を効率で語ろうとしたら何が起きるのか。本当に効率よく生きたいのであれば朝から珈琲豆を挽くことにはならないし、旅行なんて時間もお金もムダすぎるし、映画館に行くより配信を待つ方が楽だし、電子書籍を使わない手はないし、何なら人と関わることもなるべく少なくした方が良さそうだし、
ていうかそもそも生きてること自体が非効率の極みじゃね???
いいのよ、それで。わたしは削るために生きてないよ。得るために生きてるよ。何を得たいかを自分の意思で決めたい、ただそれだけ。これは根本的にはミニマリストとは異なる考え方なのだ。好きなものだけを選び取ることは必要最低限だけに絞ることとは全く別の行為だ。わたしは自分の手で珈琲豆をゴリゴリしたいし、二度と行かなそうな海外の都市の地下鉄のピッてするカードをわざわざ発行して持ち帰りたいし、映画の半券をコレクションしてたまに眺めたいし、感銘を受けた小説は原書も買ってしまうし、いただいたお手紙をデータ化なんてとんでもない。つい先日も沼に落ちたアイドルのアルバム(もちろんダウンロードも可能)を全て韓国から買い付けたところだ。先ほどから物品と経験を混同して語っているように思われるかもしれないが、そこを分けて考えることに矛盾とすら思える違和感がある。モノは間違いなく経験の一部だし「別にしなくてもいいけどしたいこと」を愛するのであれば「別になくてもいいけど(手元に)ほしいもの」を愛したっていいじゃないか。前者だけを賛美することには首をかしげてしまう。違いがあるとしたら最終的にモノとして残るかどうかだけであって、端からそこに焦点を当てて取捨選択をするとなると「モノを減らすこと」がゴールと化して手段と目的がよく分からないことになってくる。
どうやら、流行や広告に惑わされて自分の脳みそを使わずに商業主義に呑まれていくこと、の対義ではないらしいというのがミニマリストという概念について考え続けてわたしが行き着いた答えだ。それならばわたしはこれからもそんな枠にはハマらずに好きなものをいーっぱい手にして暮らしていきたい。評判がよいから、安いから、そんな理由でそれこそ経験を伴わないままモノだけが増え続けてしまうほどバカでもない。身軽になんてならなくてよい。その重力に喜びを感じられるくらいの選択をする。
わたしをミニマリストにならせてくれないモノたちへ。愛してるよ。
I Am...
I Am... Sasha Fierce
わたしが愛して止まないビヨンセの3rdアルバムは2枚組で構成されている。
発売された当時、高校生だったわたしにとって強くて美しくてかっこいいビヨンセはパーフェクトな女性だった。憧れていた。このアルバムも持っているし、ダンスの本番の日はクリスタルガイザーと決めていたし、仮定法現在はIf I Were A Boyで覚えた。来日公演だって行った。
これはライブでビヨンセが汗を拭いて投げたタオルをキャッチした(!)ときのわたしのツイート。英語の練習帳として使っていた10年前も元気にオタクですね。
Im still so excided. Beyonce is the true DIVA. I love and respect her soooooooo much.
— Miii (@miii8517) October 13, 2009
このアルバムが二部構成になっている理由を当時は深く考えていなかった。バラード盤とダンス盤くらいに捉えていて、どちらかと言うと「ビヨンセらしい」後者が好きだった。だけど、当時のビヨンセと同い年になった今ようやく、この構成が刺さる。ああ、ビヨンセ様…!
説明するとI Am... Sasha Fierceはこのような構成になっている。
ディスク1:I Am...
If I Were A Boyからスタート
当時のビヨンセにしてはめずらしいバラードが続く
これまでの「強い女」のイメージをぶち壊すような歌詞も混ざる
ディスク2:Sasha Fierce
Single Ladiesからスタート
いわゆる「ビヨンセらしい」メッセージをビートにのせる
Sasha Fierceとは彼女がステージでの自分を称したいわば「キャラ設定」のようなもの
当時のわたしにだってコンセプトを理解することくらいできたが、この「キャラ設定」というのが本当の意味では分かっていなかったのだと思う。ビヨンセ=Sasha Fierceとして見ていたから。それこそがわたしの憧れる姿だったから。でも今は違う。
ここ数年で、わたしの中にも「バリキャリ」のキャラ設定が現れた。それが本当のわたしではないとかそういう話ではない。ただ、スーツを着てヒールを履いたらいつものわたしとは違う。過去とか不安とか、眠れない夜とか、関係ない。言い訳なんて要らない。仕事が始まったら、前を向いて背筋を伸ばして持てる限りの自信を引っ張り出してパフォーマンスする。それだけ。
そうやって結果を出してきたけど、過去や不安が消えるわけではない。眠れない夜が減るはずもない。バリキャリスイッチを切った瞬間にただのわたしが脳内に放たれる。誰にも知られたくないけど誰かに知ってほしいどうしようもないわたしが。
どっちかだけではわたしになれなくて、どっちもあるから今の自分なのだと言い切れるのに時々どう扱ってよいのか分からなくなる。
そんな毎日の中でふとI Am... Sasha Fierceというアルバムの存在が腑に落ちた。
Sasha Fierceとしてステージで闘い続けたビヨンセが、デスチャ時代から「残念ながらアンタなんかいなくてもちゃんと一人で生きられんだわ」と歌ってヒットを飛ばしていたビヨンセが、ソロデビューアルバムでも「私には私しかいないってもう分かったから」と結論づけたビヨンセが、20代後半というタイミングで敢えて「らしくない」I Am...をディスク1に持ってくる。
でもやっぱりディスク2ではSasha Fierceに戻って、みんなこれが見たいんでしょ?と聞こえてきそうな堂々たる「ビヨンセらしい」パフォーマンスで終わる。
ただこれが今までにも増して強くて美しくてかっこいいのでこちらもI Am...あってこそのSasha Fierceなのだと気づかずにはいられない。
ビ、ビヨンセーーーーーーー!
分かるよ。分かるんだよ。強く生きることを志すあまりに実際そんなこと全然ないくせに周りにそう思わせるのも上手になってきたわたし(27)の心がビヨンセ(27)に対して「リスペクト」だけではない感情を抱いてしまうんだよ。あの!世界の!ビヨンセ様に!
I Am... Sasha Fierceの「…」を抱きしめたい。わたしは、のあとに続けたい言葉なんていくらでもあるはずなのに間を置いて選ぶのが結局「Sasha Fierce」なの、そんなの、
なんというアルバムを作ってくれたんだ。
デスチャにindependentという単語を教えてもらった中学時代から始まり、そろそろビヨンセもファン歴が人生の半分くらいになってきました。
ずーっと聴いていたはずの曲やアルバムが急に自分に語りかけてくるようになる瞬間、オタクライフの宝ですね。
まだやれる。
一人遊び
緊急事態宣言、なくなったはずの日常がまだちゃんとわたしの部屋にあった話。
4月11日:万年筆のインクが切れる
4月12日:キッチンの壁がマグネット対応だと知る
4月14日:ペンが集まってくる
4月15日:積ん読が増える
4月16日:「信号なし」を眺める
4月17日:グアテマラの豆、いいにおいがする
4月18日:ココアが爆発する
4月19日:ロンドンで買ったグラノーラが尽きる
4月21日:愛ってこういうこと?
4月22日:生乾きはハンモックへGO
4月23日:同期とおしゃべりfeat. 黒蜜きなこアイス
4月24日:一畳分のスペースで、踊る
4月25日:珈琲とお茶のことが好きすぎる
4月26日:夏のベスポジ a.k.a 洗面所
4月27日:深夜のウエストサイドは沁みる
4月28日:高級バウムクーヘン、そわそわする
4月29日:出前にみかんゼリーがついてくる
4月30日:いちごの季節、もうすぐ終わるね
5月1日:元気が出ない(訳:暑くて体調不良)
5月2日:冬が恋しい(訳:完全に夏バテ)
5月3日:午前0時、肉を焼く
5月4日:交互に干しました(完)
5月5日:抜け殻
5月6日:後で片付ける
明日からも引き続き、一人です。
美、自信、アイデンティティ
冨永愛さんの「美の法則」を読んだ。発売日を心待ちにしていたのだ。オタク的な感情とは違うのでツイッター等でも語ることは少ないが、愛さんはわたしの憧れの人。
わたしは、背が高い。愛さんほどではないが、間違いなく高い。それはあるとき急に始まった。どちらかと言うと小さかったはずが気づいたらみんな追い抜かしていた。そして、わたしは昔から健康診断の心電図で痩せ型に特有らしい症状(問題はないらしい)で引っかかるくらいには、痩せている。いや、痩せていた。今は筋肉をつけてコントロールしている。
背が高く曲線のない身体、ただ長いだけの手足、漆黒のストレートヘアと奥二重の目。どう扱えばよいのか分からなかった。平成生まれのわたしはSPEEDに憧れて育ったし、女の子が黒いパンツで「かっこいい」と言われることもできる時代ではあったんだと思う。それでもやはり「かわいい」は正義だった。小柄でやわらかい雰囲気の女の子に対して「守ってあげたい」という表現がよく使われていたし、女の子の色はピンクだったし、制服はスカートだった。貪欲で自立心が強い性格といわゆる「女の子らしさ」とは重ならない外見が相まって、わたしのアイデンティティは迷子だった。
男になりたいとは微塵も思っていなかった。そういう感情ではなかった。だから、ストリート系に逃げても満たされなかった。ストリートでは(少なくともアマチュアのダンスにおいては)かっこよく在ることだけが正解で服装や振る舞いにも女らしさは求められておらず、その事実は(男への同化をうながすような作用もあったとはいえ)わたしを息苦しさから解放してくれた。でも息苦しくないことは深呼吸ができることとは別だ。わたしはストリートというジャンルの特性に包まれて安心したいのではなく、だぼだぼのスウェットで全てを隠したいわけではなく、わたしとして、女として、自信を持ちたいのだ。
全てを日本社会のせいにして海外セレブを追いかけた時期もあったけど、わたしの顔は誰がどう見てもアジアンだし、グラマラスボディにもなれない。勝てない。悶々としていたときに出会ったのが、愛さんだった。高身長へのコンプレックスを糧にしてモデルの仕事と向き合い、アジアンのトップモデルとしての道を模索した愛さんにぶん殴られて、わたしのわたしによるわたしのための美の追求が始まった。
今、わたしは深呼吸ができている。少なくとも外見やファッションについてはブレない自信がある。それを支えている背が高く曲線のない身体、ただ長いだけの手足、漆黒のストレートヘアと奥二重の目に誇りを持っているし、どう扱えばよいのか知っている。逃げたくて仕方なかったあの「女の子らしさ」に溢れる乃木坂を好きになれたのも、自分がそこを目指す必要がないことを知っているからに他ならない。
何を見てどう感じるか、人との接し方や、仕事との向き合い方、どんな部屋で暮らし、どんな日常を送っているのか、自分を大切にしているのか……。
つまり、美しさの本質を追求していくと、
「今をどう生きているか」
という問いにたどり着く。
愛さんは「美の法則」の序盤でこう書いている。本当にそのとおりで、自分らしい美しさを整えられているとき、それは思考や価値観と直結している。ファッションやメイクも含めて表面的な誤魔化しではないのだと分かる。アイデンティティなのだ。
だからこそ「自分」を武器にして美を磨くことは、リスクを伴う。それが揺らいでしまうときに失うのは流行の追求や他人からの評価ではなく、自分の思考や価値観であり、自分の生き方であり、自分への信頼だ。
それでも、
ランウェイは一発勝負だから、自分に自信がないとか、「私なんて」などと言っている場合じゃないし、ここ一番の集中力が試される。
これはわたしだって同じなのだ。上を目指したいなら、自信が与えられるのを待っている暇はない。作るしかない。自分の持つ武器も扱えないのに闘いにいくことはできない。わたしは今も決して自己肯定感の高い人間ではないが、自分の何をどう磨いていくべきかを冷静に理解している。だからブレない。
かっこよく在りたいね。
Carpe Diem
このところ、テレビをとっくに捨てたわたしのところまで届くほど世間の動きが激しい。入ってくる情報およびそこから派生する思考を遮断する機能を搭載していない人間なので、色々と考え始めてしまう(ウイルスのせいにするな、いつものことだろ)
個人的に今アツいのが「みんな明日の存在を信じて生きているのか」というトピック。というのも、この自粛ムードにおいて「落ち着いたらまたできるから!」だとか「命が何より大切です!」といった趣旨の発言を見かけることが少なくないのだ。困惑した。
なんで明日も生きてる前提なの???
ウイルスによってのみ死がもたらされるというのであればまだ分かるが、え?わたしたち、死に向かって生きてるんでないの?死にたくないという感情を根拠に行動することに意味なんてあるの?ウイルスにさえかからなければ明日が来ることが約束されているの?
そんなわけない。死って、そんなに遠くない。
明日死ぬと思って今日を生きろ、なんてよく言われるがわたしの思考回路はその言葉が意図するほど綺麗なものでもないのだと思う。ただ、常に一秒後に死んでしまう可能性を能動的に認識している。死ではなくとも、今この瞬間に確かにここに在るもの全てがいつでも失われるものだと考えている。そして、わたしは警戒することで「その時」を必死こいて先延ばしするのではなく、今、愛したい。今したいことは、今する。
この強い諸行無常の感覚がどこから来ているのか、数年前のブログにも少しだけ書いた。理由なんていくらでもある。ハタチになるより先に四人の祖父母の死と向き合う必要があったこと。大好きだった父親がまだ小学生の自分を置いて出ていったこと。唯一の家族となった母親が事故で頭を打ったと連絡が入ったこと。保育園児のときから追いかけていたアイドルグループが何の前ぶれもなく解散してしまったこと。留学で出会った親友の暮らすトルコでテロが多発したこと。死のうとした経験があること。
好きなひと、好きなもの、簡単になくなってしまうのだと知っている。有事の際でなくとも、大多数の人が日常を送っているときも、毎日毎日毎日、誰かの何かが失われている。大切だとかそんなことは関係ない。当たり前なんてない。永遠なんてない。従って「いつか」も信じられるはずがない。
だからと言って自粛を否定したいだとかそういうわけでもないが、端から存在するかどうかも分からない明日を守るために間違いなく手にしている今日を使い果たしてしまうことにわたしは同意できない。あなたもわたしも簡単に死んでしまうということを前提に生きている人間からしたら、そこに数パーセントの確率が上乗せされるかどうかなんて正直どうでもよい。例えば手洗いうがいでその数パーセントを減らせるかもしれないならやるけど(やってるけど)そのために今この瞬間の自分にとって大切なものを削ろうとは思えない。また、他人を守るという視点から考えても(話がややこしくなるのでそもそもみんなそんなに他人のこと気にしながら暮らしてましたっけ?問題はスルーしておく)本当に人間を追いつめるのはウイルスではないと思っている。命があるという事実では人を守ることも救うこともできない。もちろんこれはただのわたしの価値観でしかないので肯定してもらう必要はない。ただし、否定される筋合いもない。
誰に教えてもらったのか知らないけど、ウイルスから人命を守ることを最優先にすべきというあなたの価値観にわたしが従う義理もない。
自分の価値観を、自分の正義を、自分の哲学を、それぞれが大切にしたらよい。それがマジョリティであろうがマイノリティであろうが、他人に肯定や同調を強いる権利も、その流れに上手く嵌まらない意見を排除する権利も、誰にもない。考える権利と、伝える権利だけがある。わたしはそう思う。
というかもうウンザリなんだよ。不倫は重罪、ドラッグは愚鈍、この「非常時」にライブ開催なんて言語道断。うるせえよ。