ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

 

10年前、東京行きの新幹線、YUIのTOKYOを聴きながら、不安なんて欠片もなかった。何がどうなってもそれまでの日々より悪くはならないと信じて疑ってなかった。そのとおりだった。

 

明日で東京に来てちょうど10年になる。泣けてくる。当たり前だけど本当に色んなことがあった。当たり前だけど全てが上手くいったわけではなくて、というか上手くいかなかったことの方が多くて、どうにもできなかったことも数え切れないほどあって、でも後悔は一つもない。

 

わたしは昔から「やると決めたらやる」しか能のないクソ頑固な人間で、それは東京に来てからも変わらなかった。何が正解かなんて分からないから選んだ答えを正解にするために考え続けることしかできなかったけど、その一点に関しては無様でも何でも手を抜かずにしがみついてきたと思う。

常にギラついた目をしていた自覚がある。何もかも地元や家族のせいにしてきたから、東京で、一人で、何がなんでも手に入れる必要があった。何を手に入れようとしていたのかすらもはやあやふやだけど、とにかく欲しかった。何と闘っていたのか見えないままだけど、とにかく負けたくなかった。そのためなら自分らしくないことも吐くほどいやなこともいくらでもした。狭く深く付き合いたい本心を抑え込んで何千人?それ以上?の人たちと関わった。迷子になろうが体力が尽きようが大雨だろうが全力を出し続けるしか方法を知らなかった。それが本当にしんどくてしんどくてしんどくて、楽しかった。

 

結局あのとき欲しくて堪らなかった何かが手に入ったのかはよく分からない。少しはマシな自分になれたのかどうかも分からない。分かるのは、大切に思うものが随分と増えたということ。

東京に来たとき、失うものなんて本当になかった。人も物も場所も、別れを惜しむ対象なんて皆無に等しくて、だから「地元を離れる」ではなく「東京に行く」と思って東京に来た。10代に特有のやつと言われたらまあそうなのだけどそれにしてもちょっと笑ってしまうくらい思い入れがなかった。捨てたかった。全部。それがどうしたことか、今、ここに、大切な人が物が場所が、失いたくないものが、ありすぎる。どうしちゃったのよ、みんな敵じゃなかったの?

 

うん、敵じゃなかった。

 

10年間で最大の学び。それだけで十分すぎるくらいの学び。なのに他にもいーっぱい学んだことがあって、感謝だとか何だとかこんなところに並べても届かないから書かないけど、その重みが嬉しくて有り難くて口角が上がってしまう。


とにかく強く、賢く、自分の足で、という思考回路は基本的には変わってないんだと思う(変わってないんかい)でも今のわたしはもうそれだけではない。はず。少なくとも「誰も助けてくれない」とは考えてない。はず。ここぞというときの他はギラついた目をしていない。はず。雨が降ったら傘をさす。はず。

 

f:id:mirewords:20210327185256p:plain

 

次の10年が、楽しみ。そう思える今日につながった全てのこと、忘れずに明日も生きてこ。