ただの私の脳内

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Minimalist? No.

 

ミニマリストという概念が一般的になってからどれほどになるだろう。どうやら一過性ではなく一つの思想としてすっかり定着したように見える。かく言うわたしも周りから「ミニマリストっぽい」と評されることも多く、この概念は当初から何かと意識の片隅をうろついている。

 

だが、わたしはミニマリストではない。ミニマリストではない。

 

なるべく余計なモノを持たずに暮らそうという発想には共感しないこともないので、自分の目指すべき姿はここなのか?と考えたこともあった。しかしながら数年をかけて検討した結果、わたしはいわゆるミニマリストにはなれないしなりたくもないということが明確になった。何しろ「余計なモノ」の定義が違いすぎる。如何せん、わたしはモノに情を抱くタイプの人間なのだ。

このようなことを言うと友人知人には驚かれることが多い。なぜだろう。よく手ぶらで出かけているから?リュックサック一つで海外旅行するから?テレビを持ってないから?高校時代に購入したジーンズをまだ履いてるから?愛用のペンをトイレに流してしまい悲しみに暮れながら同じペンを買い直したりするから?

確かに、わたしにはそういうところがある。でもそれは「不要なもの」を排除するためではなく「愛するもの」をとことん愛するための選択でしかない。こだわって選んだものしか使いたくない=そんなにたくさんは見つからない=選び抜いた少数精鋭を使い続ける、というだけの話だ。わたしがわたしの好みに合うように選んだのだから気に入っていて当然だし、新しく買う理由も捨てる理由も特にない。会社員として収入が安定して初期投資ができるようになった今、その傾向がさらに強くなっている自覚はある。自分でもミニマリストを目指すべきか迷いがあったのはこの「自分で厳選したものだけで暮らす」思考が共通していたからと推測する。日頃からその考え方を基盤として取捨選択をしているため出かけるときの荷物にしても「あれもこれも」とはならない。惰性では持たない。今日のわたしが連れて行きたいものを連れて行くだけ。そんなに多くはならない。

 

では、ミニマリストとわたしを決定的に隔てるものは何だろう。なかなかの難問だったがあるときどこかで見かけた「紙辞書は場所を取るのでスマホで調べよう」という趣旨の文章を読んでくっきりと境界線が引かれた。わたしは!紙辞書が!大好きだ!!!

このテーマに相応しくシンプルにまとめてみると「不要」を徹底的に排除して「効率」を重視する考え方はわたしのライフスタイルとは極めて相性が悪い。わたしは少なからず合理的な人間ではあるが、それは合理的に考えられるという意味であって必ずしも合理性を好むというわけではない。むしろ合理的に考えた結果その枠に収まらないものをわたしは愛している。紙辞書を捲るときの匂い、使い込んで手垢で汚れていくページ、いつかの自分が書き込んだ文字を発見して「また忘れてた」と落ち込む瞬間、いわゆるミニマリスト思想(人にもよるのだろうが)はこれらを容赦なく切り捨てているように感じた。Okay, わたしはミニマリストではないです!

 

人生を効率で語ろうとしたら何が起きるのか。本当に効率よく生きたいのであれば朝から珈琲豆を挽くことにはならないし、旅行なんて時間もお金もムダすぎるし、映画館に行くより配信を待つ方が楽だし、電子書籍を使わない手はないし、何なら人と関わることもなるべく少なくした方が良さそうだし、

 

ていうかそもそも生きてること自体が非効率の極みじゃね???

 

いいのよ、それで。わたしは削るために生きてないよ。得るために生きてるよ。何を得たいかを自分の意思で決めたい、ただそれだけ。これは根本的にはミニマリストとは異なる考え方なのだ。好きなものだけを選び取ることは必要最低限だけに絞ることとは全く別の行為だ。わたしは自分の手で珈琲豆をゴリゴリしたいし、二度と行かなそうな海外の都市の地下鉄のピッてするカードをわざわざ発行して持ち帰りたいし、映画の半券をコレクションしてたまに眺めたいし、感銘を受けた小説は原書も買ってしまうし、いただいたお手紙をデータ化なんてとんでもない。つい先日も沼に落ちたアイドルのアルバム(もちろんダウンロードも可能)を全て韓国から買い付けたところだ。先ほどから物品と経験を混同して語っているように思われるかもしれないが、そこを分けて考えることに矛盾とすら思える違和感がある。モノは間違いなく経験の一部だし「別にしなくてもいいけどしたいこと」を愛するのであれば「別になくてもいいけど(手元に)ほしいもの」を愛したっていいじゃないか。前者だけを賛美することには首をかしげてしまう。違いがあるとしたら最終的にモノとして残るかどうかだけであって、端からそこに焦点を当てて取捨選択をするとなると「モノを減らすこと」がゴールと化して手段と目的がよく分からないことになってくる。

 

どうやら、流行や広告に惑わされて自分の脳みそを使わずに商業主義に呑まれていくこと、の対義ではないらしいというのがミニマリストという概念について考え続けてわたしが行き着いた答えだ。それならばわたしはこれからもそんな枠にはハマらずに好きなものをいーっぱい手にして暮らしていきたい。評判がよいから、安いから、そんな理由でそれこそ経験を伴わないままモノだけが増え続けてしまうほどバカでもない。身軽になんてならなくてよい。その重力に喜びを感じられるくらいの選択をする。

 

 

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わたしをミニマリストにならせてくれないモノたちへ。愛してるよ。