ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

そっか、

わたし、


コーヒー、買っちゃってるよ、



年末年始の八連休(あみだくじで勝って一日追加させてもらった)を利用して初めて訪れたロンドンでふと気づいた。



ヨーロッパに来るのは二回目。ハタチ、初めての一人旅。スペインから入ってフランスとスイスを通ってイタリアから出る二週間の鉄道旅。いつのまにか、七年。

あのときのわたしは全てから逃げるようにヨーロッパに来ることを決めてどこかで見たような典型的な「バックパッカー」になるべく宿の予約もせずに飛び出した。今思うと慎重で臆病なわたしがそうなるくらい完全に行き詰まっていた。

バカな旅だった。お金をケチるくせに変なところで使ってしまうし、レストランに入るのが怖くて一日中ぐるぐるして餓死しそうになるし、危ない道も危ない人もすぐには分からなくてハッとすることも度々あった。雨に濡れて心が折れて休憩したいけど安いお店を上手に探せなくて片時も落ち着かなかった。貴重な時間となけなしのお金を使ってこの様かと泣きたくなった。何やってんだよおおおって振り返る度に笑ってしまうくらいかけがえのない人生で一度きりの「初」だった。今だから言えるほんとうの話。



それから少しずつ色んな国を訪れて少しずつ旅の仕方を覚えた。留学やワーホリで海外で暮らしたことも大きかったけど今もこうして年に数回は日本を出るようにしていて、いつのまにかコーヒーを簡単に買えるようになっていた。



それは、知らないお店に入ってカウンターで無愛想な(あるいはやたらスモールトークをしようとする)店員と話すことに何の躊躇いもなくなったということで、白人に囲まれても妙な緊張をしなくなったということで、昔は読み書き専門だった英語を「話せる」ようになったということで、


お金があるということで、


そのことになんかものすごく感動した。学生時代は食費一日千円くらいを目安に旅していたから数百円のコーヒーを買ってしまうというのは一大事だった。お店に入って値段を訊いて「無理でした、グッバイ」をする勇気も少なくとも留学前はなかった。そんなことを思い出して何の計算もせずに寒かったらコーヒー買って、疲れたらコーヒー買って、コーヒー飲みたかったらコーヒー買ってる自分のことをすごいと思った。大人になったなと思った。



年月は、経験は、人をどこまで変えるのだろう。違う自分になんてなれない。始めからやり直すこともできない。



わたしは、わたし。誰も知らない誰も見てない場所に来たってわたしはわたしを知っている。年を重ねたって肩書きがついたって旅の途中では関係ない。ただのわたし。いつものわたし。

仕事とか生活とか、色々と変わったように見えても知らない場所ではそんなのどうでもよくて定められたルーティンから外れる限られた時間の中で自分という人間がむしろ浮き彫りになる。何を見る?何を撮る?何を選ぶ?



映画

グラフィティ

ミュージカル

現代アート

コーヒー



何も変わってない。でも、お金を使える。それは間違いなく変わった。会社員になってから物価の高い先進国を旅することがなかったからお金を使いたいものにお金を使えることがどれだけの力を持つのか余計に感じた。お金があるかどうかは本質ではないけど自分の思うように過ごすため、本質を実現するため、少なくとも今この世界では必要だとわたしは思う。それを七年かけて手に入れてきた自分のことを、スーツ着て、ヒール履いて、ビール飲んで、タバコ吸って、リーダーとして働いて、必死にやってきたことを肯定された気がした。



変わったこと、変わっていないこと。嬉しいこと、楽しいこと。悲しいこと、寂しいこと。得意なこと、苦手なこと。できるようになったこと、できないままのこと。



好きで好きでどうしようもなく心を惹かれるもの、全人類がその価値を訴えているとしても全く興味を持てないもの。



変わっていくもの、変わらないもの。



地続きの毎日。




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さて、働くか。ロンドンからは以上です。