ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

続く

続く人間関係と続かない人間関係の違いって何なんだろう。最近よく考えること。

 

東京に来てから八年半が経ち、それはもうたくさんの人に出会った。サークル、大学、バイト先のバー、バイト先のクラブ、バイト先のあんみつ屋さん、バイト先の事務所、単発のバイトたち、就活、ヨガ、留学、ワーホリ、旅行、よく行くお店、結婚式などのイベントで居合わせた人、友達の友達、オタク、会社、などなど。推定人数を出したかったけど、無理。

 

でもその中で定期的に会う関係が続いている人は、ほんのわずか。サークルなんて500人くらいと関わったはずだけど今も会うのはせいぜい数人。

ただ通り過ぎていく人間関係も必要なもので、同じコミュニティに属しているときは仲良かったのになあというのはよくある話だし、最初から合わなかったのだとしてもわたしの人生の一部であることに変わりはない。わたしは記憶力が異様に良いので関わった以上は忘れることはない。

だけどやっぱり「続く人間関係」というやつが、愛しくて堪らない。何も分からない誰も知らないまま東京に来て8年半、いつのまにか手にしていた優しい重み。

 

今日はそのひとつである元バイト先のバーの皆様と会った。2011年から2013年までを共に過ごしてそのあとそれぞれの道を歩き始めたけれど、年に数回は(たまに当時の常連さんたちも交えて)一緒に飲んでいる。

このバーはわたしの初バイトだった。経済力のある家庭で育ったわけではないので自分でも意外だが、高校時代はバイトをしていなかった。父の「好きにしたらええけどガキの小遣い程度のバイト代を稼ぐより勉強して国立でも行った方が賢いと思うけどな」に完全に同意した形である。

 

どうしてあのバーで雇っていただけたのか、さっぱり分からない。フリーターで毎日お店で働いているお兄さんお姉さんたちに囲まれて未成年の学生で「いらっしゃいませ」も言えないレジも打てないウイスキーもカクテルも知らない他人と話すのも得意でない、あげくシフトにもそこまで入れない。それなのに後になって聞いたところによるとわたしは即採用だったらしい。謎すぎる。ちなみにわたしがバーで働きたいと思ったのは自分が不特定多数の一人としてでなく自分として認識される場所に居たかったこと、バイトを辞めても役立つ知識(この場合はお酒)を得たかったこと、急いでいる人を相手にする接客だけは自分には難しいと考えていたこと(おそらくわたしには主に会話において独特のテンポ感というのがあって強制的に相手に合わせることが当時は今より厳しかった)などが理由だった。

ただ、他の皆様と共通しているところがひとつだけあった。地方から東京に出てきて初めて働く場所がここで「拾ってもらった」という感覚があったこと。バイトって学生が多いイメージだけどここで出会ったのはメイクとか建築とか俳優とかそれぞれの景色を見ようと東京に来た人たちだった。賄い制度はなかったけどみんなお金のない一人暮らしだったから小銭を出し合ってパスタとか買ってきて店の余り物と混ぜて食べてた。このへんが今も関係が続いている最大の理由なのかもしれない。そういやクラブもあんみつ屋さんも学生バイトって全然いなかったけど偶然なのだろうか。

 

当時の18才のわたしは、手の届かないはずだった大学に入って、憧れだった東京に来て、過ぎていく日々をなんとか自分のものにしようと必死だった。ダサかった。前列で踊りたくてサークルの練習も詰め込んでいたし、ダンスとバイトに明け暮れるには留年のリスクの高すぎる大学だったし、慣れない標準語を聞きながら乗るバイト帰りの終電は他人との距離が近すぎた。ていうか勉強もちゃんとしたいし。ていうか留学もしたいし。ていうか東京の人たち歩くん速すぎやし。ていうか、ていうか、ていうか。

 

そんな余裕のない毎日の中で、コミュニケーション能力の高くないわたしが接客を上手くこなせるはずがなかった。ほんとうに迷惑をかけてばかりだったけど「色んなこと頑張ってすごいね」と言ってくれてダンスも観に来てくれて、可愛がってもらった。このお店で「働くこと」を覚えて大人にしてもらった。お客様との会話を楽しみながらオリジナルカクテルに自分で値段をつけて出すようになった。辞める直前はお店の人不足と自分の留学資金不足が合致して、昼の事務バイトが終わってから毎日バーに向かう期間もあった。他に英語を話せるスタッフがいなかったから英語メニューを作成して去った。そこに行きつくまで見捨てずに働かせてくれた。

 

初めての一人旅でヨーロッパに行ったときに心配したお兄さんが明治神宮で買ってきてくれた旅行安全の御守りは今も必ず旅に連れていく。

初めてのデパコスはお姉さんがくれたリップグロスで就活のときはいつも塗っていた。

初めてのボトルワインは店長がハタチの誕生日にくれたスペインのスパークリングでコルクは今も大切に保管している。

初めて使った高級ボールペンは常連さんからいただいたものだけどスーツのポケットにいつも挿している。

 

あったかい。ダメダメだったわたしにも居場所をくれて、今も時間を共有してくれて、人数が多くても自然に会話に入れて、身に余る贅沢。

最近は会社でリーダーを任されていて、新人ちゃんたちに囲まれて育成育成育成の日々。やっぱり今もわたしは器用ではないからため息をつきたくなるときもある。でも、自分がしてもらったことを忘れたみたいな振る舞いだけはしたくないと思う。

 

続く人間関係を大切にしたい。会えば、当時を、初心を、自分という人間を、思い出せる存在。そんな簡単に手に入るものではない。そして手に入れるということは等しく「失う可能性」を持つことでもある。こわい。けど、失うことをこわいと思えるものがあることが嬉しい。だから、その関係が今ここにあるという事実を慈しんで、その関係を作ってきた過去の自分のことも認めて、過ごしていきたい。そう思えるような素敵な人たちに自分が与えられるものを見つけることは難しくてgive and takeは成立しないことの方が多いから、せめてtakeしたものを抱きしめて離さないようにしたい。

 

二十代も後半になると結婚出産とか、転職とか、海外赴任とか、実家に戻るとか、変化も多いので惰性では関係が続かなくなる。削ぎ落とされていって残るものが、その重みが、わたしが東京に来た意味。

 


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お兄さんにあの旅行安全の御守りを今も旅行のときは必ず持って行ってるから失くしたりしたらショックだなあ、と言ったら、そしたらまた買ってくるよ、と返ってきた。二両編成の世田谷線で泣きそうになってしまった。そう、東京にも短い電車、あるんだよ。