ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

資本主義的、愛し方

 

人は何のために働くのか。

 

余計なことを考えて過ぎてしまう癖のあるわたしでなくても誰もが一度は考えたことがあるであろう問い。仕事に追われる毎日の中で度々この問いが自己主張を始める。二年目のとき会社の研修で訊かれた際には真剣に答えようとすると思考の渦から出てこられなくなるので「美味しいビールのため」と答えた。ウソではない。ちなみに上司に報告された。褒められた。

地位とか名誉とか生き甲斐とかその辺は今回は置いておくとして、資本主義社会における労働の主目的は金銭を得ることだ。それは生活のためであり、老後のためであり、日々に色(カラフルとは限らない)をつけるためである。最後のひとつがいわゆるプラスアルファの部分で、わたしはそれを文化と呼ぶ。

 

わたしの人生の大半は貧乏とまでは言わずとも決して金銭的余裕のある暮らしではなかったので、限られたお金で何とかすること、限られたお金を使いたい先を厳選すること、これに関してはまあまあ鍛えられてきたと思う。明日の食事に困るほどの生活にはならなかったから言えることではあるが、金銭的余裕のなさが「自分で考えて選ぶ力」につながった。

 

例えばわたしは小学生のときからダンスを習っていて月謝に5千円くらい必要だった。月初に母親に「ください」と言うのは苦しかったけどそれでもダンスをしたかった。その代わりと言うわけではないが塾や予備校、それから英会話スクールは行きたかったけど行かなかった。受験は団体戦などと宣う風潮もある中でまあしんどいことではあったが(勉強を頑張ることが一般的な高校ではなかったので)一人で粛々と勉強した高校三年間は財産だと思っているし第一志望の大学にも受かった。ちなみにダンスも地元を出るその日まで休まず行った。

また、留学の最後にアメリカを一周して帰ってきたのだがこのときもう貯金は殆ど底をついていた。留学のために月30万円になるくらいバイトしていたのに、儚い、儚すぎる。どうしても諦めたくなかったのは音楽。そのために捨てたのは時間と食事。ホテル代を抑えるために中心地から離れた安いドミトリーに泊まってさらに地下鉄料金すら惜しいので歩く歩く歩く。食事はスーパーで買う食パンとピーナッツバターが基本。そこまでして観るミュージカルやライブは絶対に適当に選んで簡単に払ってしまうより最高だった。あとたまに食べる温かいご飯もちょっと泣けるほど美味しかった。

他にもそんなことはたくさんあって、それこそ観る映画も参加する飲み会も出演するステージも何もかも選ばないといけなかった。諦めたことも泣いたこともいーっぱいあるけど経済的にしんどかったから得られた感情や思考もたくさんあったと思う。生まれついたときからお金持ちの人たちが知らないこと、知ってると思う。

 

では。

なぜこうして「お金がないということ」をそれなりに前向きに捉えられる今、わたしは仕事を頑張って誰よりも早く昇進および昇給することにこだわっているのか。

 

過去のトラウマから将来に向けた野望までここに一晩で書き切ることは不可能なほど色々な要因があるのだけど、その一つが冒頭に書いた「文化」をただ享受するだけでなく維持していきたいと考えていること。

そう明確に思うようになったのにもまた色々な要因があるわけだが、

 

  • 老舗の小さなクラブでバイトしたこと
  • 父親が夢だったジャズダイニングを開いたこと
  • 大好きな熊本での地震のとき地域に根づいた店ほど影響があったこと
  • 好きな映画館に初めてクラウドファンディングしたこと
  • 営業の仕事を始めて一つの売上の重みを体感したこと

 

これらがものすごく大きかった。余程の欲がなければ今の収入でも愛する文化を享受することはできる。十分に楽しませてもらっている。少しくらい高くついても食パン&ピーナッツバターで食いつなぐ必要はない。

 

けどそれってその愛する文化がそこに在る前提で考えているということに気づいたときに受けとる側としてだけでなく守る側としての消費者になりたいと強く思った。

壊れたトイレの補修費用のための自作募金箱を置くクラブ。食材が余ってしまうので安くするから来てほしいとフェイスブックに投稿するジャズダイニング。大型ショッピングモールが営業再開する一方で全く目処が立たない古いラーメン屋さん。創意工夫をもって上映を続けてもシネコンに淘汰されるミニシアター。

簡単になくなってしまうと思った。安定した収入を得ていて子どものいない今の自分は「なくさないこと」を他人任せにはできないと思った。誰かが必死に守ってくれている前提で好きな作品だけを観に行くのではなく映画館の最たる収入であるドリンクやフードを購入すること。トイレ募金に千円札を入れられること。それをあらゆる場所で日常的に実施していくためには全然お金が足りない。

 

もちろん社会には大きな謎の力が働いているのでこちらがどう動いたところで消えるものは消える。だけどわたしは好きだ好きだと言うばかりでそこに費やす金銭は最小限に抑えていたくせに後から嘆くような大人にはならない。失ってから考え始めても遅すぎる。だって、誰がどうやって維持してくれると思ってたの?自分は守るために何をしたの?好きと言葉にするだけで何かが起きるわけなくない?資本主義って知ってる?

 



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ブロードウェイにはラッシュチケットというものがある。朝早く、劇場がオープンする前から並べば枚数限定で一列目端もしくは最後列の見切れ席を格安で購入できる。何枚が用意されているのか手に入れられるのか、保証はない。観光する時間を削って、並ぶ。暑くても寒くても、外で並ぶ。

それでも、並び続けるだけで通常は100ドル前後のチケットを35ドルで手に入れられることが食パン&ピーナッツバターの留学生にとってどれほど有り難いことか。学生や地域の住民への割引とも違う。並ぶこと以外は何の条件もなく観たい人に届けるために設けられているシステム。わたしが『シカゴ』のセクシーお姉さんの太ももを30cmの距離で(以下略)

五年前にラッシュチケットの恩恵を大いに受けたわたしの密かな(と言っても今ここに書いてしまったが)夢は、再びニューヨークを訪れて定価でミュージカルを観ること。

 

ついでにスタバ(アメリカではとても安い)ではなく美味しいサードウェーブのコーヒーもたくさん飲みたいな。