ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

国境線なんか俺が消してやるよ

 

韓国映画「パラサイト」がアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞(外国語映画賞の名称を今回から変えたそう)の四冠。

 

正直、ふるえた。

 

パラサイトという作品を好きかどうかなんてこの際どうでもよい。歴史が変わった。

 

前にも書いたことがあるがわたしは韓国語の名前をつけられ近所の在日コリアン集落に暮らす人たちに面倒を見てもらって育った。母の働く車工場には南米出身者が多く生まれて初めて招待された結婚式はブラジル出身のお姉さんの結婚式だった。保育園も近くの団地の影響があって中国や韓国、スリランカなどの血を持つ子たちがたくさんいた。グローバルなんていうかっこつけたテーマとは無縁などこまでもローカルな多文化社会で暮らしていた。

 

そういう環境で育ったにも関わらず中高時代は白人黒人崇拝に陥っていた。親にジャズやブルースを聴かされていて自分自身もヒップホップが好きだったから白人至上主義にならなかったことは幸いだが、間違いなく欧米の文化にどうしようもなく憧れていた。それも白と黒で構成される英語文化圏としての欧米を見ていた。

 

だけどそれ以外の世界があることは分かっていた。それを見失っていくことが怖かった。どうしてアジアに生まれたのかと悲しくなる自分が悲しかった。重要なのはどんな血を持ちどこに産み落とされたか、ではないということにもっと確信を持ちたかった。

 

だからスペイン語を学ぶことにした。大学で英語ではない何かしらの言語とそれが話される地域について文化について学ぶことは決めていた。そうしないと「英語」に呑まれると思った。色々と調べた結果、ヨーロッパの中でも英語を話せる人の少ない国とそれから中南米各国で話されている言語を選んだ。視野を、情報の幅を、広げたかった(あと単純に発音が超好き)

 

大学では言語そっちのけでカルチュラルスタディースにハマって、特に移民がどう受容されていき文化が交じり合うのかというその一点をどうしても知りたかった。スペイン語との相性もよいテーマだった。留学前に卒論テーマを決めたとき移民の教育についてにしようかと思っていると伝えたら「そんな論文みんな書いてるからみれさんヒップホップで書いてよ、ダンスばっかしてるだろ?」と教授に言われて、わたしの卒論テーマは「カリフォルニアに暮らすメキシコ移民の若者のアイデンティティ形成にラップが与える影響」に決定した。

 

留学先はアメリカの一択だった。メキシコとの国境沿い、ラティーノとアジアンが人口の四割を占めるサンディエゴで一年かけて見たこと。感じたこと。考えたこと。

 

 

 

もう、国境とか、よくない?

 

 

 

わたしは線を引くなら自分と他人の間に引きたい。国境に合わせる必要なんてない。他人は全員異文化。これが留学を経てのわたしの結論だった。

自分の軸を持たないとき、視野は経済的・政治的に力を持つ方へ、マジョリティの方へと導かれていく。自分で選んだつもりでも最初から選択肢を削られている。

 

わたしは、自分で見たい。

 

国境線だけではない。何もかも、異なるのも分からないのもどっかの誰かが勝手に引いた線のせいではない。あなたがあなたで、わたしがわたしだから、難しいだけ。少なくとも自分の脳内ではあらゆる境界線を消して、みんな違うというただそれだけのことをそのまま受け入れてしまいたい。惑わされて騙されて「違う」の解釈を間違えればその奥の「同じ」も見えてこなくなる。ラブ&ピース過激派みたいな発言をしようとは思わないけど、映画は、音楽は、文化は、その手助けをしてくれると思っている。パラサイトの作品賞受賞によってそのことを正式に認められたように感じる。

 



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いつだって今日が「未来」のはじまり。