ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

八年

 

18、

東京で暮らし始めた。大学の勉強の面白さに感動した。ダンスが楽しかった。大舞台でピンスポを浴びて踊る自分をよく想像した。バーで働き始めてお酒を覚えた。いらっしゃいませもろくに言えなかったわたしをフリーターのお兄さんお姉さんと常連さんたちが育ててくれた。時間の使い方が分からなくて部屋がゴミ屋敷と化した。

 

19、

お金がなかった。毎日早朝から深夜まで授業と練習とバイトを詰め込んだら人は倒れるのだと知った。終電を逃したらパパが迎えに来てくれてバイトは週一だからあとはダンスという生活をする同世代の存在に心が折れた。何でも出来る気になっていたけど何にも出来ないことを知った。親には死んでも頭を下げたくなかった。留学に行きたかったこと世界を旅したかったことを思い出した。進級すら危うい自分には届かないと思った。

 

20、

ダンスでかっこいい先輩たちに出会った。もう何でもいいからやりたいようにやってみようと思った。ヨーロッパを旅してみた。いつでもどこにでも行ける中で今いる場所を選んでいるのは自分だと思い知った。エキストラ撮影に参加する機会があって東京で見逃しているものがまだまだあるのではないかと感じた。腰を壊して踊れなくなった。泣きながら通院した。お金がかかるから働いた。常にイライラしていた。大学の同期が揃って留学に旅立つ中で踊るために残ったのに踊れなかった。そんなときに留学から帰国した一つ上の先輩たちと仲良くなった。留学してなくてよかったと思った。このままでは終われないと遅れて留学に行くことを決意して余裕ぶっこいて受けたTOEFLは酷い点数だった。その日から空いた時間は一分一秒でも勉強した。間に合った。

 

21、

コルセットを巻いて後輩の陰で踊った引退公演を経てダンスを辞めた。そんな配置なのに21枚のチケットノルマは自分から声をかける前に売り切れた。いつのまにか東京に大切な人がたくさん居た。留学に行くために毎日9時から24時までバイトした。18才から働くバーでは気づけば中心人物だった。上手く回せなくてよくキレていた。三年間の念願だったメキシコを訪れた。十年間の夢だったカリフォルニアへの留学を叶えた。スクリーンを通さずに「アメリカ」を見た。一目で仲良くなれると思ったトルコ出身の女の子と親友になった。他にもたくさんの出会いがあった。留学が遅れてなければ出会えなかった。他に留学生のいない授業にはついていくのが精いっぱいで英語が得意だと思っていたことを恥じた。腰が治らずダンスは週一が限度という中で何とか舞台に立ちたくて参加したレ・ミゼラブルのコンサートはブロードウェイキャストのバックコーラスという凄まじい経験で腰痛を初めて前向きに捉えられた。

 

22、

アメリカを一周した。ニューヨークで恋人と合流するとかいうベタなこともした。帰国して激安の家賃で留守を許してくれた大家さんに挨拶に行ったらおばあちゃんに三時間つかまって餅を六つも食わされた。就活中は愉快な単発バイトをたくさんした。留学や旅のときの思考回路を忘れずに過ごせば毎日はかなり面白いことを発見した。自分はそれなりに色んな経験をしている人間だと思ってた。違った。もっと素敵な人いっぱいいた。大学五年生は卒業に必要ない授業を真剣に受けて「メキシコ系移民とヒップホップ」についての卒論を真剣に書いた。階段に座り込んで他愛ないお喋りをする余裕もあった。あんこがほしくてあんみつ屋でバイトした。刺激が足りなくてクラブも掛け持ちした。夜明けの渋谷で酔っぱらいDJに説教されることもあった。

 

23、

大学を卒業した。念願のキューバに行ったのに五年間も学んだはずのスペイン語がろくに話せなくて自分クソだなと思った。秋入社だったのでそれまでワーホリに行ってみることにした。四ヶ月半ほど働いたお店ではその短期間にウェイトレスが16人くらい辞めた。とにかく考えることを止めて「できます」と「やります」を言い続けて無茶ぶりに応えて働いて稼いで朝までみんなで飲んだ日々は生まれて初めて大人数の中で上手くやっていけた経験で「仲間と一緒なら」という感覚を知った。毎週レッスンを受けていたダンスの先生がそれはそれは素敵な女性で水曜日を心待ちにしている自分が居て本格的には踊れなくなってもやっぱりダンスに力をもらっていた。最後のレッスンの日に初めていつも一緒になる人に話し掛けられて仲良くなれそうでもっと早く近づかなかったことを後悔した。憧れていたけど実現するなんて思っていなかったラジオ番組のパーソナリティにも挑戦した。

 

24、

会社員生活は想像よりずっと楽しかった。新卒というポジションに甘えてバイトより短い時間でたくさん稼げることを喜んでいた。素晴らしい上司に出会えて「一人で何でもやろうとするのは一緒に頑張りたいと思ってる周りの人間に失礼だからね」と根本から叩き直された。ワーホリから少し勘づいていた「一人で全部やらなくていいんだ」が確信に変わった瞬間に長い付き合いだった恋人と別れてちょっとよく分からなくなった。とりあえず仕事に打ち込んでみたらハマった。黒しか持たない主義なのに名刺入れにはグレーを選んだ。改めてスペイン語を勉強して試験を受けてみた。落ちた。

 

25、

営業の壁にぶち当たった。悔しくて泣いたりもしたけど一件一件が勉強になって面白かった。昇進した。例の上司に「アンタは背中を見せてついて来させるタイプかもしれないけど振り返ってみたら意外とついて来てないもんだからね」と叱られ人を動かす方法に悩んだ。賑やかな体育会系のチームで働くことで世界は論理では回っていないことを学んだ。異動した。前任者との比較や暗黙の了解に苦しんで爆発して同期に抱きついて朝まで泣くというとっても自分らしくない出来事があった。同期に「頑張る」と「大丈夫」を禁止された。嫌になって引っ越した如何にも金のない学生が住んでそうなボロ部屋が思ったより好きだったことに気がついた。バーもあんみつ屋もクラブもワーホリも一緒に働いた人との縁が切れない自分に気づいてわたしは仕事を頑張っていくべき人間なのかもしれないと思った。

 

26、

 

 

 

 

 

ここまで、全部を読んだ人なんて居ないでしょう?他人にとってはどうでもよくて当然の、わたしの、大切な話。

 

 

上司の上司に呼び出されたとき「わたしなんで昇進なんですか」と訊いたら「数字もそうだけどその過程で落ちても落ちても常に今の自分には何ができるかって考えてくれてるのを見てきたから」と返ってきた。

 

異動する上司からのお手紙には「できないじゃなくてどうすればできるか考えるしかないじゃんねって話してたのをすごく覚えてます」と書かれていた。

 

ハタチ以前からの友人知人には「やさしくなった」とか「笑うようになった」とかしみじみ言われる。

 

 

謙遜も傲慢も要らない。ありがとう。

 

 

上京してからもう八年。まだ八年。わたしは何を手放して何を手に入れて、何を学んだのだろう。きっとその答えをわたしは知っている。

 

思いどおりになんていかない。

それは変わらない。

 

だけど、意外とみんな同じだったりする。

そして、意外とみんな助けてくれたりする。

 

だから、頑張る。

 

 

別にそんな必死こかなくても今日を過ごせば明日は勝手に来る。だけどこの八年を振り返ったときに見苦しい思い出たちを「よく頑張ったなあ、ありがとうなあ、もう大丈夫だからなあ、」と眺められるその感情がわたしにとっては大切だ。

 

少なくとも、過去のどの時点の自分より今の自分の方がずっと好き。だからその自分を構成する過去そのものをないがしろにすることなんて絶対にしたくない。大切に、時には強引に、積み重ねてきたものが繋がって繋がって今が在る。未来になっていく。そんなわたしの姿を見て好きになってくれる人や評価してくれる人や手を差しのべてくれる人がいる。それは、本当にそうだったのか見つけるための能力不足だったのかは分からないけれど、八年前のわたしにはなかったものだ。

 

ありがとうを言いたい顔が、それこそ「もし君がいなければ」の「君」が、いくつも思い浮かぶこと。

以前は「壁に呟く、努力とは何だろう」や「自分の力で開けるしかなかった、誰にも助けてもらえない」しかなかったのに「いつだってそばにいて期待してくれたから」が現れたこと。

東京で得たものなんてそれで十分なのかもしれない。


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四月。

 

また始まる。

 

SPEEDのAprilという曲がある。

 

 

楽になりたくて心切りつけていた夜もあった

今はひとりでいてもひとりじゃないと思えるよ

 

語り明かしたYesterday's 瞳の奥のLove&Friends

変わっていく私をずっと見ていて