ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

彼女たち

 

「名前なんかどうでもいいじゃん」

 

一瞬にして惚れた。

もう十二年ほど前の話だ。

今もずっと桜井はわたしの憧れ。

 

 

新宿ブックファーストはわたしのお気に入りの書店で週に一度は立ち寄っている。今日も今日とて徘徊していたらふと目に留まった東京グラフィティ最新号の表紙。小松菜奈門脇麦と「女の子が好きな本・映画のヒロイン100人」の文字。

 

なにそれ、最高。

 

数々の著名人や一般人が思い思いのヒロインについて語る。分かる分かる、いやマジか、知らねえな、選ばれたヒロインたちへのわたしの反応は様々だが各々がそのひとりにビビッときてしまったその過程を知ることができるというだけで堪らない。

 

わたしにとっての究極のヒロインは、桜井。映画および小説「GO」の桜井。桜井。桜井。

桜井に惚れた中学時代は演じた柴咲コウの大ファンだったのだがそんなことは差し引いても(いや原作者が柴咲コウに当て書きしたと言っているくらいなので差し引く必要はきっとないのだが)わたしは桜井が好きだ。大好きだ。音楽と映画を愛する桜井。裸足で白線の上を歩く桜井。野性的で個性的で、意味不明なくらい知的で、それでいてバカな桜井。

 

わたしは、桜井にとてつもなく憧れている。

 

この感情はアイドルの「推し」への感情とも重なってくる。わたしにとって推しに抱く感情というのは少なくともただの好意や共感とは異なるものだ。憧れのヒロインも同じなので、エトウヨシカはこの話題の外に居る。彼女たちは、現実と理想が絶妙なバランスで溶け合って「分かる。」とか「わたしも。」が「すげえ」とか「かっけえ」とか「え、なんで」とか「なるほど」と混在する。そうしてその女たちは決して追いつけないのに追いかけたくなる憧れとしてわたしの人生に入ってきて、二度と出ていかない。

 

 

好きなヒロインは?

そう訊かれて即答できる人生でよかったと思う。

 

 

桜井は別格だけど他にもいる。

 

小説なら、

 

「マチルダは小さな大天才」のマチルダ

一人で闘うには脳みそを使う方法を覚えることその補強をするための知識を少しでも多く仕入れること、なお、それは大人が無条件に与えてくれるものではない、と教えてくれた人

 

高慢と偏見」のエリザベス

周りの人間のくだらない常識に惑わされずに自分の価値観で物事を見ることができそんな自分にプライドを持っていても時にはペースを乱されることもあってそれでもそういう一部始終を見て好いてくれる人はいるのだと教えてくれた人

 

映画なら、

 

「はじまりのうた」のグレタ

色々ある、色々ある、そういうときこそ街に人に音に手を伸ばしてみてもよいのかもしれないと教えてくれた人(あとアコギが似合う)

 

女神の見えざる手」のリズ

強く賢くあることが生き延びる術だと過去に学んでそれが自分に定着した頃に必要なのは情と愛嬌だとか言われたりそんな世界だけど強く賢くあることは間違いなんかではないと教えてくれた人(あと服が黒い)

 

「ビフォア・サンライズ」のセリーヌ

列車で分厚い本を読み街を歩き回りながら雑学を披露するような下手したら可愛いげの欠片もなくなる女でもほんの少しの野性を持ち合わせていればありのままで魅力的に見えるのだと教えてくれた人(あと声がよい)

 

グッバイ・ゴダール!」のアンヌ

知を静の状態で持つことの美しさを教えてくれた人(あと服が可愛い)

 

サイドカーに犬」のヨーコさん

全部全部全部を抱えたまま豪快に笑う人の強さと脆さとやさしさを教えてくれた人(あと麦チョコ)

 

この辺は名前を並べるだけで口角が上がってくる。自分と似てるところも自分には届かないところも持ってる人たち。凛とした憧れ。

 

あ、ミトコンドリアDNA、

 

えっと、なんだっけ、そう、わたしの好きなヒロインたちはきっと彼女たちを知る人なら笑ってしまうほど趣味が分かりやすい。決して「いい子」ではない。強く賢く、野性的で個性的で、意味不明なくらい知的で、バカで、時々めちゃくちゃ弱い、と見せかけてやっぱ強い、というか、あ、ダメだ、わたしごときの言葉で語り尽くせるわけなかった。

 

ああ、ヴィンテージのワンピースからジーンズまでさらっとカジュアルに着こなしてしまう感じも割と共通しているかもしれない。

 

憧れのヒロインになれるとかなりたいとかそういうわけではなく、ただ、仕事が上手くいかないとき失恋したとき服が決まらないとき休日の過ごし方に迷ったとき、彼女たちが脳内を駆け回る。それを追いかけて「あ、そっか、ありがと!」ってなることがある。そうして生きている。もうずっと変わらない。わたしの構成要素。

 

本を読んだり映画を観たりする理由、そんなの明確になんて言えないけど、これも一つなのかもしれない。好きなヒロインを訊かれて即答できる人生にすること。彼女たちに出会うこと。

 


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明日は何を着て何を観て何を聴いて何を読もうか。

 

「ねえ!行こう?」

 

 

伝われ。

 

そんなに自分を責めないで

誰にだってひとりの夜はあるから

ため息もすぐ掻き消される街の中で

傷つく度やさしくなっていけるはず

ゆずれない夢があるなら I Believe

この道の先で出会える Love & Friends

こんな日ばかりじゃないよね It's My Life

涙を拭いて 

 

(Carry On My Way - SPEED)

 

先日、ある問題を抱えたお客様の対応をする機会があった。後輩から引き継ぎを受けてどう伝えればよいかいっぱいいっぱい考えて真摯に向き合って話した。つもりだった。伝わらなかった。

問題の根本の解釈がズレてしまっていた。だから言葉選びも最適ではなかった。さらにこじらせてしまった。怒らせてしまった。落ち込ませてしまった。

上司まで巻き込んだ問題に発展して上司の上司やお世話になった前上司にまで知られることになってしまって動揺して動揺して動揺した脳内を後輩に悟られるわけにはいかなくて別にこんなのよくあることだからみたいな顔して働いて帰って玄関で泣いた。

 

なんで。

 

こちらを信じて契約してくださったお客様を落胆させてしまった。プロなのに。仕事なのに。完璧にできなかった。お客様のことも対応を任せてくれた後輩や上司のことも裏切ってしまった。

 

だけど。

 

できないよ。そんなこと後からいくら言っても仕方ないけどちゃんと考えてた。それでも分からなかった。

 

伝えるって本当に本当に本当に難しいこと。感情的になって余計なひとことを言ってしまったことも、相手のためを思って熱くなったのが逆効果だったことも、自分を何とか保つために攻撃的になってしまったことも、何でもないやりとりがマイナスにしか捉えられなくて引きずったことも、取り返しがつかないくらい傷つけたことも傷つけられたことも、そうかと思えば勘違いだったことも、あるよ。誰にだってあると思ってるよ。

 

それでも伝えようとする気持ちこそが人間なのだから、そんなのはお互い様だ。関係性や状況によっては完璧なコミュニケーションを目指すことが求められるのは当然だけどそれが常に達成されることは当然ではない。人間だから。できないそんなの。他人の脳内など見えることはないのだから互いがどういう立場であれ双方向に分かろうと努力していくしかない。それを怠るのはよくないよねってのは発信側と受信側の双方に等しく言えることで、コミュニケーションにおいてどちらか一方だけがわるいなんてことは決してないのだと思う。

 

でも。

 

でも。

 

でも。

 

分かろうと努力をしないといけないその対象があらゆる方向から一斉にこちらに向かって来たら?

その中に明確な悪意が含まれていることもあるとしたら?

プロというラベルによって人間であるという前提が隠されてしまったら?

ちょうど他のことでも悩んでいたり疲れていたりするタイミングだったら?

 

 

 

 

 

簡単に壊れるよ。

 

 

 

 

 

 

 

特定の個人による特定の言動に皆が鋭い目を向け始める瞬間が怖い。とてつもなく怖い。それはその言動が正しいか正しくないかとは、そもそもの原因がどこにあるのかとは、また別の話。

 

 


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伝えようとしてくれてありがとう。

難しいね。頑張ろうね。

八年

 

18、

東京で暮らし始めた。大学の勉強の面白さに感動した。ダンスが楽しかった。大舞台でピンスポを浴びて踊る自分をよく想像した。バーで働き始めてお酒を覚えた。いらっしゃいませもろくに言えなかったわたしをフリーターのお兄さんお姉さんと常連さんたちが育ててくれた。時間の使い方が分からなくて部屋がゴミ屋敷と化した。

 

19、

お金がなかった。毎日早朝から深夜まで授業と練習とバイトを詰め込んだら人は倒れるのだと知った。終電を逃したらパパが迎えに来てくれてバイトは週一だからあとはダンスという生活をする同世代の存在に心が折れた。何でも出来る気になっていたけど何にも出来ないことを知った。親には死んでも頭を下げたくなかった。留学に行きたかったこと世界を旅したかったことを思い出した。進級すら危うい自分には届かないと思った。

 

20、

ダンスでかっこいい先輩たちに出会った。もう何でもいいからやりたいようにやってみようと思った。ヨーロッパを旅してみた。いつでもどこにでも行ける中で今いる場所を選んでいるのは自分だと思い知った。エキストラ撮影に参加する機会があって東京で見逃しているものがまだまだあるのではないかと感じた。腰を壊して踊れなくなった。泣きながら通院した。お金がかかるから働いた。常にイライラしていた。大学の同期が揃って留学に旅立つ中で踊るために残ったのに踊れなかった。そんなときに留学から帰国した一つ上の先輩たちと仲良くなった。留学してなくてよかったと思った。このままでは終われないと遅れて留学に行くことを決意して余裕ぶっこいて受けたTOEFLは酷い点数だった。その日から空いた時間は一分一秒でも勉強した。間に合った。

 

21、

コルセットを巻いて後輩の陰で踊った引退公演を経てダンスを辞めた。そんな配置なのに21枚のチケットノルマは自分から声をかける前に売り切れた。いつのまにか東京に大切な人がたくさん居た。留学に行くために毎日9時から24時までバイトした。18才から働くバーでは気づけば中心人物だった。上手く回せなくてよくキレていた。三年間の念願だったメキシコを訪れた。十年間の夢だったカリフォルニアへの留学を叶えた。スクリーンを通さずに「アメリカ」を見た。一目で仲良くなれると思ったトルコ出身の女の子と親友になった。他にもたくさんの出会いがあった。留学が遅れてなければ出会えなかった。他に留学生のいない授業にはついていくのが精いっぱいで英語が得意だと思っていたことを恥じた。腰が治らずダンスは週一が限度という中で何とか舞台に立ちたくて参加したレ・ミゼラブルのコンサートはブロードウェイキャストのバックコーラスという凄まじい経験で腰痛を初めて前向きに捉えられた。

 

22、

アメリカを一周した。ニューヨークで恋人と合流するとかいうベタなこともした。帰国して激安の家賃で留守を許してくれた大家さんに挨拶に行ったらおばあちゃんに三時間つかまって餅を六つも食わされた。就活中は愉快な単発バイトをたくさんした。留学や旅のときの思考回路を忘れずに過ごせば毎日はかなり面白いことを発見した。自分はそれなりに色んな経験をしている人間だと思ってた。違った。もっと素敵な人いっぱいいた。大学五年生は卒業に必要ない授業を真剣に受けて「メキシコ系移民とヒップホップ」についての卒論を真剣に書いた。階段に座り込んで他愛ないお喋りをする余裕もあった。あんこがほしくてあんみつ屋でバイトした。刺激が足りなくてクラブも掛け持ちした。夜明けの渋谷で酔っぱらいDJに説教されることもあった。

 

23、

大学を卒業した。念願のキューバに行ったのに五年間も学んだはずのスペイン語がろくに話せなくて自分クソだなと思った。秋入社だったのでそれまでワーホリに行ってみることにした。四ヶ月半ほど働いたお店ではその短期間にウェイトレスが16人くらい辞めた。とにかく考えることを止めて「できます」と「やります」を言い続けて無茶ぶりに応えて働いて稼いで朝までみんなで飲んだ日々は生まれて初めて大人数の中で上手くやっていけた経験で「仲間と一緒なら」という感覚を知った。毎週レッスンを受けていたダンスの先生がそれはそれは素敵な女性で水曜日を心待ちにしている自分が居て本格的には踊れなくなってもやっぱりダンスに力をもらっていた。最後のレッスンの日に初めていつも一緒になる人に話し掛けられて仲良くなれそうでもっと早く近づかなかったことを後悔した。憧れていたけど実現するなんて思っていなかったラジオ番組のパーソナリティにも挑戦した。

 

24、

会社員生活は想像よりずっと楽しかった。新卒というポジションに甘えてバイトより短い時間でたくさん稼げることを喜んでいた。素晴らしい上司に出会えて「一人で何でもやろうとするのは一緒に頑張りたいと思ってる周りの人間に失礼だからね」と根本から叩き直された。ワーホリから少し勘づいていた「一人で全部やらなくていいんだ」が確信に変わった瞬間に長い付き合いだった恋人と別れてちょっとよく分からなくなった。とりあえず仕事に打ち込んでみたらハマった。黒しか持たない主義なのに名刺入れにはグレーを選んだ。改めてスペイン語を勉強して試験を受けてみた。落ちた。

 

25、

営業の壁にぶち当たった。悔しくて泣いたりもしたけど一件一件が勉強になって面白かった。昇進した。例の上司に「アンタは背中を見せてついて来させるタイプかもしれないけど振り返ってみたら意外とついて来てないもんだからね」と叱られ人を動かす方法に悩んだ。賑やかな体育会系のチームで働くことで世界は論理では回っていないことを学んだ。異動した。前任者との比較や暗黙の了解に苦しんで爆発して同期に抱きついて朝まで泣くというとっても自分らしくない出来事があった。同期に「頑張る」と「大丈夫」を禁止された。嫌になって引っ越した如何にも金のない学生が住んでそうなボロ部屋が思ったより好きだったことに気がついた。バーもあんみつ屋もクラブもワーホリも一緒に働いた人との縁が切れない自分に気づいてわたしは仕事を頑張っていくべき人間なのかもしれないと思った。

 

26、

 

 

 

 

 

ここまで、全部を読んだ人なんて居ないでしょう?他人にとってはどうでもよくて当然の、わたしの、大切な話。

 

 

上司の上司に呼び出されたとき「わたしなんで昇進なんですか」と訊いたら「数字もそうだけどその過程で落ちても落ちても常に今の自分には何ができるかって考えてくれてるのを見てきたから」と返ってきた。

 

異動する上司からのお手紙には「できないじゃなくてどうすればできるか考えるしかないじゃんねって話してたのをすごく覚えてます」と書かれていた。

 

ハタチ以前からの友人知人には「やさしくなった」とか「笑うようになった」とかしみじみ言われる。

 

 

謙遜も傲慢も要らない。ありがとう。

 

 

上京してからもう八年。まだ八年。わたしは何を手放して何を手に入れて、何を学んだのだろう。きっとその答えをわたしは知っている。

 

思いどおりになんていかない。

それは変わらない。

 

だけど、意外とみんな同じだったりする。

そして、意外とみんな助けてくれたりする。

 

だから、頑張る。

 

 

別にそんな必死こかなくても今日を過ごせば明日は勝手に来る。だけどこの八年を振り返ったときに見苦しい思い出たちを「よく頑張ったなあ、ありがとうなあ、もう大丈夫だからなあ、」と眺められるその感情がわたしにとっては大切だ。

 

少なくとも、過去のどの時点の自分より今の自分の方がずっと好き。だからその自分を構成する過去そのものをないがしろにすることなんて絶対にしたくない。大切に、時には強引に、積み重ねてきたものが繋がって繋がって今が在る。未来になっていく。そんなわたしの姿を見て好きになってくれる人や評価してくれる人や手を差しのべてくれる人がいる。それは、本当にそうだったのか見つけるための能力不足だったのかは分からないけれど、八年前のわたしにはなかったものだ。

 

ありがとうを言いたい顔が、それこそ「もし君がいなければ」の「君」が、いくつも思い浮かぶこと。

以前は「壁に呟く、努力とは何だろう」や「自分の力で開けるしかなかった、誰にも助けてもらえない」しかなかったのに「いつだってそばにいて期待してくれたから」が現れたこと。

東京で得たものなんてそれで十分なのかもしれない。


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四月。

 

また始まる。

 

SPEEDのAprilという曲がある。

 

 

楽になりたくて心切りつけていた夜もあった

今はひとりでいてもひとりじゃないと思えるよ

 

語り明かしたYesterday's 瞳の奥のLove&Friends

変わっていく私をずっと見ていて

二十六才、女

 

「二十六才、何が正しいのかは分からないけど私は自分が正しいと思った道を進んでいくので、春、別れの季節、色んなこと思ってる人もいるだろうけど、美彩先輩も同じなんだなって、ね。」

 

 

2019年3月19日

衛藤美彩卒業ソロコンサート、

 

衛藤美彩乃木坂46)の終わり」ではなく「衛藤美彩(26才、女性)の始まり」だった。

 

何もかも好きだった。楽しかった。生歌と生音、そうそう、これがライブだ。もう、美彩ぁぁぁ!って何回くらい叫んだと思う?知らないよそんなこと。

 

ジャズアレンジの意外BREAK

黒が映える欲望のリインカーネーション

ピアノバージョンの今、話したい誰かがいる

踊らないシンクロニシティ

 

乃木坂の中でもお気に入りの曲たちが、これ以上ない最高のアレンジをされていく。色んな、色んな、色んな、もやもやが浄化されていく気がした。

 

無口なライオン、

アンダー、

涙が止まらなくて止める気にもならなくて、

 

八年間を捨てるわけでも、八年間に縋るわけでも、ない。ただ積み重ねて来たものを何もかも消化して昇華して自分のものにしていることの凄さ。こんなこともあんなことも出来るんだよって誇らしげに見せつけてくれる逞しさ。ステージに立って音が鳴ればプロの仕事をするのみという思考が伝わる強さ。高嶺の花としか思えない色気を放った次の瞬間には美彩ちゃん!(美彩ちゃん!)最高!(最高!)なんてコール&レスポンスさせてしまう振り幅の尊さ。卒業コンサートに向けて愛を込めて作られた真っ赤なドレスで魅惑したかと思ったら最後の最後にただの年相応の女みたいなジーンズで抜いてくるくせに足元は真っ赤なヒールを譲らない力加減の絶妙さ。

 

全部、八年かけて、歪な点を繋いで繋いで、線にしてきたんでしょう?

 

わたしも、八年前に十八才で上京した。

わたしも、二十六才になった。

 

色々あったよ。色々あるよ。この先も。分かってる。手を抜いて、逃げて、諦めた方が楽だってことも。分かってる。

 

だけど、それが何列目何番だとしても、わたしは今この場所に立っている。スポットライトが当たらなくても一階席から見えなくてもそこがわたしの立ち位置なのであれば、そこに居る意味も、そこで出来ることも、探したいよ。

 

卒業発表より遥かに前から、卒業発表のあとはさらに勢いを増して、たくさんの腑に落ちないことがあった。選抜や配置どうこうとかセンターとかソロとか、三列目のままダンスを辞めたわたしには重すぎた。でも、ソロコンでそういうの全部ぶっ飛ばし、いや、違うな、包み込んでくれた。過去を封印も否定もする必要ない。それがわたしだよ。その経験があるからわたしなんだよ。わたしだってここまでやってきたわたしに誇りがある。全部を抱きしめたまま、次に行こう。

 

 

春、二度目の昇進。

三列目人間には縁のないはずだった早すぎる出世。

 

何が求められているのかなんて全然分からないけど、こわいけど、自信なんてないけど、わたしは、わたしも、わたしが正しいと思う仕事をするのだと思う。変わらず。

そして、同い年の女として、衛藤美彩さんにヒントをもらうのだと思う。変わらず。

 

最後の最後に


「二十六才、何が正しいのかは分からないけど私は自分が正しいと思った道を進んでいくので、春、別れの季節、色んなこと思ってる人もいるだろうけど、美彩先輩も同じなんだなって、ね。」

 

なんて言われたら。もう。

 

 

好きになったきっかけ、生年月日が三日違い。

 

 

頑張るね。

 

頑張ろうね。

 

ありがとう。

 

おめでとう。

 

大好きです。

 

人として。


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赤は女を強くするんだよ。

変身

 

衛藤美彩ちゃんとお揃いのリップグロスを塗って握手会モードに入る作戦です」

 

勤務後に上司と同期と真面目に語り合っていた際に私がどのようにして「頭が固く考えすぎる」性格から少なくとも仕事のときは抜け出せて数字を取れるようになったのかという話題になったとき、そう答えた。ふたりには「ちょっとそれはよく分かんないけど、」と流されてしまったが私は真剣だ。

 

営業を始めて割とすぐ壁に当たった。成績がひどく悪いわけではなかったが、確実に逃してしまう層があった。尊敬している当時の上司には「アンタは正論を正面から投げつけてるだけ」と言われていたけどそれの何が悪いのか分からなかった。私は正論を言いたい。それを嫌がる相手からの売上などいらない。…いらない?…ほんとうに?

 

クソ真面目なのでまあまあ悩んだ。自分の性格を変えられないことなど百も承知だった。白か黒か。ゼロか百か。そういう人間だ。さらに言ってしまえばそんな自分が(たまに絞め殺したくなるほど嫌いになるけど基本的には)割と好きだ。自分にも他人にも厳しいせいでたくさんのものを失ってたくさんのものを得てきた。それはもう私の生き方として確立されている。

 

だから「愛想よく」とか「笑顔で」とか「褒める」とか「やわらかい言葉遣い」とか「(物理的にも心理的にも)目線を合わせる」とか無理無理無理無理!他人に媚びろと言うのか?という感じだったのだけど、人は求めるものに都合よく出会うもので、どうやってあの抜群のタイミングで私の人生に現れてくれたのか、魔法か、ってくらいの勢いで乃木坂46衛藤美彩さんに落ちた。それはもう急に落ちた。びっくりした。

彼女の言動や仕草、立ち振る舞いなどあれもこれもヒントだった。乃木坂の中でも握手会の評判がよい彼女との握手会レポを読み漁った。そしてついにはそれまで正直バカにしていた握手会に行くことにした。

 

プロだ… この人は営業のプロだ…

 

それが初めての握手会の感想だった。頭が固く偏屈で不器用で自信のあるフリが得意な私が学ばなければいけない要素がその三秒に詰まっていた。可愛い子ぶりっことは違った。媚びているとは全く感じなかった。ただひたすらプロの仕事だった。忘れたくないと思った。握手会をバカにしていてごめんなさい!

 

でも私は衛藤美彩ではないからそんなことはできない。私には、できない。頭が固く偏屈で不器用で自信のあるフリが得意な「私」にはできない。

 

いや、

 

待って、

 

仕事してるときって私がありのままの「私」である必要なくない?握手会で見せてくれた姿が人間としての「衛藤美彩」そのものだとでも思ってる?そんなわけなくない?

 

衛藤美彩の握手はプロだった。媚でも偽でもなくプロの仕事だった。あの場で彼女がありのままの彼女である必要などはなく、プロの仕事をしてくれることに意味がある。給与とはありのままの自分でいることにより得られる対価ではないのだ。私も、プロの仕事をしよう。

 

そこからは早かった。その時期に彼女が紹介していたディオールのリップグロスを購入した。765番。黒パッケージで埋め尽くされたメイクポーチの中でそれはもう堂々たる浮きっぷりのキラキラピンク。

そのままの自分で向き合うべき仕事であればこれまでと変わらず赤やベージュを塗る。本来の自分を生かせる仕事はやっぱり好き。でも論理だけではどうにもならない仕事の方が多いくらいで、そういうときは衛藤リップを塗って握手会スイッチオン。彼女ならどう答える?どう接する?と考えながら進めていく。もう「愛想よく」とか「笑顔で」とか「褒める」とか「やわらかい言葉遣い」とか「(物理的にも心理的にも)目線を合わせる」とか、迷わない。

この作戦をわたしは当時の上司にも宣言していたので偏屈モードに嵌まってしまい苦しんでいるときは「アンタ、美彩ちゃんは?忘れたの?」と言ってくれた。良いチーム(泣)ありがたい(泣)

 

つまるところ、私の出した結論は、自分の特定の部分を変えようとするのではなくいっそ一時的に別の誰かになってしまうくらいに自分ごと手放す方が早いということ。そしてその方が結果として無理なく自分を保てるということ。押さえ付けて封をしようとすると苦しくて苦しくて本来の自分が死んでしまうから、逆をいく。放ってしまう。仕事の間はここに居なくていいよ、バイバイ。

 

始めはそんなことしたら自分らしさを失ってしまいそうで怖かった(この感情があるからこそ頑固だった)けど、まあ、個性、しぶとかった(笑)語弊を恐れずに言うと、私ごときに簡単に完コピされる程度の衛藤美彩でも、マネしたくらいで衛藤美彩になってしまう程度の私でもないのだ。だから思い切って自分を手放すくらいで大丈夫。そうすれば必要なところは残って、吸収すべきところも入って、新しいバランスが生まれる。

 

こうして書くと自分でも意味不明だが実際に私はもう一年くらい握手会モードを使うことでかなり上手くいっている。方向性だけ見極めたら衛藤リップ塗って髪型も少し変えて、よし。媚びてない。偽ってない。仕事してるだけ。


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たかが会社員が握手会モード(笑)と思われてもいい、別に無関係の他人に評価されなくても結果は裏切らない。

 

少しの変化だけで何かが上手くいくようになるなら「いつもどおり」でなくなることを恐れる必要はない。それが自分のスタイルではないことなんて自分が知っていれば問題ない。確固たるものがあるからこそ離れることも可能になる。逆にちょっと逸れたらもう戻って来られない程度のこだわりならそれこそ不必要。

 

最近は自分のことが結構よく分かる。確固たる自分スタイルを手放す時間を持つことで客観的視点を得られていることが大きいように思う。

 

今度はこういう経験を後輩指導にも生かしていきたいのだけど如何せんエピソードとして癖がありすぎるので、どうしようか。

 

there

 

仕事の関係もあり海外経験について訊かれることの多い今日このごろ。昨夜のアナザースカイから受けた多少の影響には気づいてないふりをして少し振り返ってみることにする。

 

よく勘違いされるのだが私は帰国子女でも何でもなく世間一般で言う「海外(=白人)文化に慣れ親しんで育った人」では全くない。近所に暮らす在日コリアンのみんなとか斜め前の家のお姉さんが結婚した黒人男性とか車工場で働いていた母のブラジルやペルー出身の同僚たちとの交流はあったのだが、ジャズやブルースを愛して止まない両親の影響も受けたが、そんな中の下くらいの経済力の高卒家庭らしいエピソードばかりで海外に行くなんて夢のまた夢であった。

 

そんな私が英語に出会い異文化に憧れ日本だけが世界ではないと知ってから今に至るまでに訪れた場所を語りたくて仕方ないあらゆるエピソードをとにかく無視しまくってシンプルに並べてみた。一都市につき一枚の写真を選ぶために要した時間については考えたくない。

 

オーストラリア(2009.10)

16、高校の研修旅行、初海外、ホームステイ

 

ゴールドコースト

三才のホストシスターがグミを喉に詰まらせて死にかけてたけどもう中学生になったらしい。

 

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「オレンジジュースが大きくて海外ドラマみたい」

 

ベトナム(2011.12)

18、最初で最後の母とふたり、初個人旅行

 

ホーチミン

つまらない旅というのは人との出会いがないものだと十代のうちに知れてよかった。


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「発展途上ってこういうことか」

 

韓国(2012.3)

19、大学の友人とふたり、初自費

 

ソウル

タッカンマリ屋さんで隣のおじさんたちが熱心に話しかけてくれたけど、ごめん「サッポロ」しか分からなかった。


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「商業主義に呑まれた」

 

ヨーロッパ(2013.3 - 4)

20、初一人旅、初長旅、初バックパック

 

マドリッド

ホイップクリームが山盛りのココアと一人で格闘してるとき運んできてくれた店員のお兄さんが遠くから笑いながら見てたこと、私、知ってる。

 

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「ヨーロッパみたいな建物がある」

 

バレンシア

バスを間違えて運転手さんにめちゃくちゃ迷惑をかけてスペイン語で怒られまくった。トラウマ。


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「なるほど海外で迷子になるとはこういうことか」

 

トレド

日本に来ていた留学生(イケメン)に案内してもらったら顔が広すぎてどこでもタダで入れた。教会について色々と説明してくれたけどあんまり興味ないから忘れた。

 

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マクドナルドってどこにでもある」

 

バルセロナ

ホステルで日本人バックパッカーの方々と同室になって二段ベッドでワインを飲みながら旅について語り合った。

 

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「どうも時間の進み方が違うようだ」

 

パリ

声をかけてきた兄ちゃんとモデルごっこして写真を撮り合うことに七時間のパリ滞在を捧げた。

 

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「おお、それっぽいぞ」

 

チューリッヒ

なんでこんな極寒の地にわざわざ遠回りしてんのかなバカなのかなって思ってたらタクシーの運転手さんになんで女ひとりで旅してんのバカなのって怒られて心が折れた。

 

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「寒い」

 

ミラノ

安宿のおばちゃんが毎朝ちゃんとマシンを使って淹れてくれるカフェラテが沁みた。逆に言うとそれしか癒しがなかった。


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「金持ちばっか見てると疲れる」

 

ローマ

ホステルで同室になった英語が全く話せないイタリア人女性とそれでも心が通じ合うほど世の中は甘くない。

 

そして心が折れていたので写真もない。

 

メキシコ(2014.5)

21、留学中の友人めぐり、念願のラテンアメリカ

 

メキシコシティ

ホステルで出会ったひとつ上の日本人女性が友達の友達だった。ふたりはケニアで出会ったらしい。


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メキシコシティは鼻がムズムズする」

 

グアナファト

またもやバスを間違えて半日ほどターミナルで暇をもて余したのでそこら辺にいた少年とにらめっこして過ごした。


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「グアナファトは鼻がムズムズしない」

 

メリダ

大学の相方がすっかりこの街に馴染んで流暢にスペイン語を話すのを理解してるふりして眺めてた。

 

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「メキシコは危ないって誰が言ったの」

 

小旅行:ウシュマル&セノーテ(ヴァジャドリッド)

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「テンプルラン…?」

 

カンクン

屋台のおじさんが金払ってないぞって追いかけてきたけど払ったじゃんかって説明したら思い出してくれて全力で謝られた。


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「青い」

 

アメリカ留学(2014.5 - 2015.1)

21 - 22、中学時代から憧れ続けたカリフォルニア

 

サンディエゴ

脳内に浮かぶ顔がこんなにもたくさんあることを誇りに思う。


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「来たよ」

 

ラスベガス

帰りの車でのトルコ×サウジアラビア×イタリアの宗教談義は忘れない。


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「What happens in Vegas stays in Vegas」

 

オレンジカウンティ

世界中を数ヶ月ごとに移動している日本人女性と共に過ごしたたかが数時間のこと、彼女は覚えているのだろうか。


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「言葉にしなくていいときもある」

 

ロサンゼルス

彼氏しか視界になかった。


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「あれもこれも実在しているとこの目で確認したことが良いのか悪いのか分からないけどもう見てしまった」

 

ティファナ

タコス屋のおっちゃんが熱心に作り方を教えてくれたジュースの名前をどうやら私はもう忘れたようですごく悲しい。


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「国境って本当に何なの」

 

アメリカ一周(2015.1 - 2)

22、過去一の長旅、過去一の貧乏旅

 

サンアントニオ

早朝に着いてホテルに荷物だけ預けて一日歩き回る予定だったのが朝っぱらから部屋に入れてくれてシャワーを浴びさせてくれたのが本当に気持ちよくて今でもシャワー浴びながらフロントのお姉さんの顔を思い出すときがある。嘘


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「(自分も含め)観光客って基本アホっぽい」

 

ニューオリンズ

ホステルに居座ってる感じの綺麗なブロンドのお姉さん、毎朝バナナ食べてた。


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「この街を訪れたことがないのに音楽好きを名乗っていた自分が恥ずかしいという感情が恥ずかしい」

 

ワシントンD.C.

ホステルで二段ベッドの私の下に居たおばさんずーっとパソコンしてたけど何者だったんだろう。大雪になるよって教えてくれてありがとう。


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アメリカとは」

 

ニューヨーク

チェルシーのホステルの地下の二人部屋で仲良くなった一つ年下のオーストラリア出身のめちゃくちゃ可愛い子がモデルだと後に判明した件について。


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「どうしよう、ニューヨークだ」

 

シカゴ

ライブハウスでブルースを歌うおばちゃんがステージ上からこっちに来いとめっちゃ呼んできたけど日本人らしく躊躇ってしまった。


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「さっきから雲行きが怪しい」

 

番外編:シカゴとサンフランシスコの間のどっか


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「え?」

 

サンフランシスコ

パンダエクスプレスに並びながらくしゃみをしたらそこら辺に居たおじさんがBless youと言ってくれた。


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「将来ヒッピーかレズビアンになったら戻ってくるわ」

 

メキシコ&キューバ(2016.1 - 2)

23、ゼミ卒業旅行、現地集合現地解散

 

メキシコシティ

先に着いた友達がBienvenida(ようこそ)の紙を持って空港で待っていた。一人の時間が多かった一度目とは景色が違った。


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「会いたかったよ、タコス」

 

ハバナ

宿が二組に別れていたから道端で喋っていたら通りすがりの車の窓が開いておっちゃんが¡Tengan buen día! (Have a good day!)とだけ言って路地裏に走り去っていってみんなで唖然とした。


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「写真ばっか撮ってられないね」

 

トリニダ

モヒート屋さん(ではないけど)でサルサに誘ってきたお兄さんと翌日に山奥の滝で再会した。


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キューバも広いね」

 

カンクン

ホステルで隣の二段ベッドの上段で繰り広げられる男女の営みの喘ぎ声に起こされ翌朝ダイニングでブロンド美女に「昨夜はごめんねー」と言われた。


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「今さ、マクドナルドを見てホッとした自分が居る」

 

小旅行:トゥルム

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「結論、メキシコってすごい」

 

オーストラリア(2016.4 - 9)

23、ワーホリ、初海外収入

 

ブリスベン

脳内に浮かぶ顔がこんなにもたくさんあることを誇りに思う。part. 2


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「日常とは」

 

小旅行:ゴールドコースト

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「全部、覚えてる」

 

シドニー

ブリスベンの友達の紹介で初対面の子にあちこち連れ回してもらったけど私ってそんなことするタイプだっけ。


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「オペラハウスがどうこうって話ではなくて」

 

メルボルン

サンディエゴのダンスのクラスが一緒だったマレーシア出身の子と会ってみたらなんかお互い大人になってた。


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「素直に好き」

 

小旅行:グレートオーシャンロード

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「今日ずっと空と海と岩しか見てない」

 

インドネシア(2017.7)

24、初のOL旅行、でも一人

 

バリ

帰りの空港までのタクシーが渋滞していて運転手さんにたくさんインドネシア語を教えてもらったけど覚えているはずもなく。


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「何もしない歓び」

 

台湾(2017.11)

24、久々に友人との旅行、なんとバックパックでなくスーツケース使用

 

台北

地元の人に人気の朝ごはんのお店に行ったら全然言葉が通じないのにお兄さんずっと頑張って説明してくれた。そして最終的に分かった。


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「漢字に感謝」

 

トルコ(2018.6)

25、留学のときの親友に会いに初の中東

 

アンカラ

四年ぶりの再会を果たした数十分後に親友と語り合った「それで多少は苦しくなっても自立した女性で在りたい」


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「変わってない」

 

イスタンブール

ホステルの兄ちゃんが教えてくれたモスクがあまりにも居心地よくて私が何時間そこに居たか知ったらきっとびっくりするよ。まあ、自分でも覚えてないのだけど。


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コーランの音なんて今まで知らなかった」

 

 

つづく

 

 

あのときのように一瞬を味わっていれば。あのときのように何もかもを新鮮な目で見ていれば。あのときのように何も知らない子どもみたいに他人と関わる時間を持てていれば。きっとそこに生まれる思いは「あのときに戻りたい」ではないはず。

これだけつらつらと書いたことの中には受動的なものなんて何ひとつなくて私の選択でしか構成されてなくて。こうして並べると「うわあ、いっぱい行ってるな」くらいに見えても学生のときは一度の旅行のために前後は十連勤だったりパスタ生活だったり。今は今で休みを取るためにしなければいけないことが山積みだったり。それなりに必死こいて旅で得られる何かを掴もうとしてきた。

 

なんか、26を目前にして30なんてあっという間なんじゃないかって怖かったりもするけどあの見切り発車もいいところのめちゃくちゃな初一人旅が20代の始まりだと思うとそこから今日までって随分と色んなことを経てきた。そしたら今日から30までも意外としっかりじっくり時間はあるのかもしれない。とか。

 

それで?って思われそうな話。旅に興味ない人にとってはどうでもよくて、旅に慣れた人にとっては何ということもなくて、そんな話を脳内で抱きしめて私はいつも頑張ってる。

 

それで?って思う人には関係のない話。

One Night Only

 

最初の一音からエンドロールが終わって明かりが点くまで泣き続けた。大切な作品を初めて映画館で観た。

 

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中学二年のとき、映画館から帰ってきた母がサントラを爆音で流して「あんたも観た方がええで」と言った。母とふたり泥沼のような毎日を送り学校にもちゃんと行けてなかった私は拒否した。

でもそのサントラは信じられないくらいかっこよかった。英語の歌詞を理解することもできないのに涙が出た。両親に教え込まれた「ヘタクソな音楽を聴くな」の意味がようやく腑に落ちた気がして母がいないときに何度も何度も聴いた。

高校生になってからようやくDVDで本編を観た。ずっと聴いていた曲たちが繋がって、映画館で観なかったことを後悔した。

母への反抗なんかで見逃すべき作品ではなかったと自分のアホさに笑った。いつかまたチャンスがあれば絶対に観に行くと決めた。映画は何十回も観た。サントラは何百回も聴いた。ビヨンセのライブでは劇中歌を生で聴いた。ブロードウェイ版の来日公演にも行った。物語も台詞もリズムもビートも隅から隅まですっかり染み込んでしまっても映画館で観る機会はなかった。

それでもこの作品は私にあらゆる影響を与え続けていて、好んで聴く音楽も大学で選ぶ授業もアメリカ留学への思いも、ショービジネスへの視線も、社会への関心も、どれだけのものをこの一本の映画から吸収したか。だって、中学二年で出会ってしまったから。

 

今日、泣いて泣いて泣きまくったその涙の理由が自分でも分からない。十年も経ってしまった。高校はサボらずに行った。東京の大学に受かった。ダンスを続けた。クラブで働いた。アメリカに留学した。旅をした。会社員になった。母とはまだ仲良くなれてない。

この十年の色んなことが映画の音と絡みに絡んで自分でもよく分からない感情になってしまった。当時は学び始めたばかりで全く聞き取れなかった英語も今は自分の力で理解できる。

 

映画館で観てる。極音上映の重低音が心臓に響く。これは夢か…?

 

ずっとずっとずっと後悔してた。母とは今でも映画と音楽の話しかまともにできない。そんな彼女の薦めを拒否なんてするべきではなかったのにガキだから分からなかった。もしあのとき観に行ってたら。感想を語り合えたら。ちょっとはマシな関係になっていたかもしれない。少なくとも何往復か楽しく会話ができたかもしれない。

 

25才になってから観たってあのときの何かを変えられるわけではないけど、時間をかけて実現できることもあるんだなって思った。チャンスを逃したと悔いたところで戻ることはできないけど終わりでもない。

 

たったこれだけのことに十年もかかった。それでも叶った。まだあきらめたくない。あきらめなくていい。そう強く思った夜。

Patience, Patience, It's gonna take some time~♪

 

年末が近づいてる。何をどうしたところで帰省への憂鬱は消えやしないけど会ったら「ドリームガールズ、映画館で観た」と真っ先に言おう。そしたら何て返してくれる?一晩だけでも言い争わずにこの映画の素晴らしさについて語り合える?

 

そうなったらええな。

No matter what we are, we are a family~♪