二十六才、女
「二十六才、何が正しいのかは分からないけど私は自分が正しいと思った道を進んでいくので、春、別れの季節、色んなこと思ってる人もいるだろうけど、美彩先輩も同じなんだなって、ね。」
2019年3月19日
衛藤美彩卒業ソロコンサート、
「衛藤美彩(乃木坂46)の終わり」ではなく「衛藤美彩(26才、女性)の始まり」だった。
何もかも好きだった。楽しかった。生歌と生音、そうそう、これがライブだ。もう、美彩ぁぁぁ!って何回くらい叫んだと思う?知らないよそんなこと。
ジャズアレンジの意外BREAK
黒が映える欲望のリインカーネーション
ピアノバージョンの今、話したい誰かがいる
踊らないシンクロニシティ
乃木坂の中でもお気に入りの曲たちが、これ以上ない最高のアレンジをされていく。色んな、色んな、色んな、もやもやが浄化されていく気がした。
無口なライオン、
アンダー、
涙が止まらなくて止める気にもならなくて、
八年間を捨てるわけでも、八年間に縋るわけでも、ない。ただ積み重ねて来たものを何もかも消化して昇華して自分のものにしていることの凄さ。こんなこともあんなことも出来るんだよって誇らしげに見せつけてくれる逞しさ。ステージに立って音が鳴ればプロの仕事をするのみという思考が伝わる強さ。高嶺の花としか思えない色気を放った次の瞬間には美彩ちゃん!(美彩ちゃん!)最高!(最高!)なんてコール&レスポンスさせてしまう振り幅の尊さ。卒業コンサートに向けて愛を込めて作られた真っ赤なドレスで魅惑したかと思ったら最後の最後にただの年相応の女みたいなジーンズで抜いてくるくせに足元は真っ赤なヒールを譲らない力加減の絶妙さ。
全部、八年かけて、歪な点を繋いで繋いで、線にしてきたんでしょう?
わたしも、八年前に十八才で上京した。
わたしも、二十六才になった。
色々あったよ。色々あるよ。この先も。分かってる。手を抜いて、逃げて、諦めた方が楽だってことも。分かってる。
だけど、それが何列目何番だとしても、わたしは今この場所に立っている。スポットライトが当たらなくても一階席から見えなくてもそこがわたしの立ち位置なのであれば、そこに居る意味も、そこで出来ることも、探したいよ。
卒業発表より遥かに前から、卒業発表のあとはさらに勢いを増して、たくさんの腑に落ちないことがあった。選抜や配置どうこうとかセンターとかソロとか、三列目のままダンスを辞めたわたしには重すぎた。でも、ソロコンでそういうの全部ぶっ飛ばし、いや、違うな、包み込んでくれた。過去を封印も否定もする必要ない。それがわたしだよ。その経験があるからわたしなんだよ。わたしだってここまでやってきたわたしに誇りがある。全部を抱きしめたまま、次に行こう。
春、二度目の昇進。
三列目人間には縁のないはずだった早すぎる出世。
何が求められているのかなんて全然分からないけど、こわいけど、自信なんてないけど、わたしは、わたしも、わたしが正しいと思う仕事をするのだと思う。変わらず。
そして、同い年の女として、衛藤美彩さんにヒントをもらうのだと思う。変わらず。
最後の最後に
「二十六才、何が正しいのかは分からないけど私は自分が正しいと思った道を進んでいくので、春、別れの季節、色んなこと思ってる人もいるだろうけど、美彩先輩も同じなんだなって、ね。」
なんて言われたら。もう。
好きになったきっかけ、生年月日が三日違い。
頑張るね。
頑張ろうね。
ありがとう。
おめでとう。
大好きです。
人として。
赤は女を強くするんだよ。