ただの私の脳内

音楽と映画と本と旅と語学

図書館

 

それ、小学生の夏休みじゃん(笑)

 

いつだったか同期に休みの予定を訊かれて図書館に行くかなと答えるとこの反応。そういうものなんだろうか。

 

今日も図書館。それから映画「ニューヨーク公共図書館」を観に行った。図書館デイならばとメルボルンの州立図書館のショップで購入したトートバッグをぶら下げて行った。

映画は三時間半のドキュメンタリー。図書館の存在意義や運営の話だけではなく学問の価値から人種や貧困の問題まで生き生きとした議論が続きものすごい情報量だった。アメリカ留学中に授業が詰まっていて大変だった木曜日を終えたあとみたいな脳みそになっていて圧倒されつつも考えたいこと知りたいことがまだまだあるから覚醒している感じ。

 

Library is not a storage of books. Library is about people.

 

とても印象的だった台詞。わたしは、自分は図書館のおかげで何とかまともに育ったと思っている。今でこそ収入があるので映画館を始め「どこかに行きたい」とか「何かしたい」ときの選択肢は色々ある。

だけど小学生のときのわたしは「行き場がない子ども」の典型例だった。親は共働きで帰ってきてもいつ怒鳴り合いが始まるか分からない、一人っ子、学校になじめない、外での遊び方が分からない。そして親に金銭が必要なお願いをすることも許されていないと思っていた。集団行動&雑音&ドッジボールというトリプルパンチを食らわせてくる学童は地獄でしかなかったので懇願して辞めさせてもらった。ダンスを始めるまでは習い事もしておらずとにかく一人で過ごす時間が多かった。

 

で、小学生が何をするか。テレビはうるさいので得意ではなかった。絵は描けない。文字は、好きだった。そして、賢くなりたかった。

 

図書館しかなかった。

 

無料だった。親も友達も必要なかった。話したくないことを話さなくてよかった。雑音もなかった。文字があった。

ものすごい勢いで読んでいたように思う。何を求めていたのか分からないけれどそれしかすることがなかった。貸出カウンターでピッてしてもらうとき自分と外の世界がつながる感じがした。棚に並んだ一冊と目が合う瞬間は本がわたしを探してくれた気がした。この感覚は今も大切にしているのだけど商業主義的な意図をもって配置された書店では味わうことができない(書店は書店で好きだけど)

 

本が好き。文字が好き。でもそれとは別のところで図書館が好き。家より学校より図書館に居るときが安心できたあのころとはもう違うけど今でも定期的に訪れて雑誌を数冊ほど読んでから本を借りて帰る。引っ越しも大きな図書館の近所というのが決め手のひとつだった。留学のときは大学の図書館に住んでるのかと思うくらい滞在していた(部屋が見つからなくてホームレス寸前だったときは本当に図書館に泊まろうとして当時の彼氏に止められた)し、ワーホリのときは部屋を探すより先に図書館を利用したくて泊まっていたホステルの住所で登録した。旅先でも図書館には行くのでもちろんニューヨーク公共図書館も行った。というか極寒かつ貧乏旅行だったので何度も何度も暖を取らせていただきましたその節はお世話になりました。

 

この映画を観て改めて認識したのは図書館も誰かによってどうにかこうにか保たれているのだということ。生活の中に当たり前に存在していすぎてあまり意識したことがなかったかもしれない。好きな珈琲屋さんや映画館はなくならないようにお金を落とそうとよく考えているけれど図書館は無料だからこそ当たり前に享受していた。このご時世におめでたい脳みそだ。近所の図書館とかルールが堅苦しすぎたり言いたいことがないわけではないけど、ひとまず感謝だなあ。


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"Ignorance is not a crime, BUT.."

 

本を読んだら賢くなるのか。他人の気持ちが分かるようになるのか。想像力がつくのか。知らないよ、そんなこと。だけど、図書館には本がある。本には文字がある。十分です。

 

余談:

今日は図書館&映画の前にペディキュアを塗り直して洗濯機を二度も回して作りおきもした。好きなごはん屋さんにも行った。そこで仲良しの会社の先輩に偶然(でもないけど、みんなの行きつけだから)会った。良い日でした。これは自慢です。ヨガはサボりました。